図書館がやっと再開。
予約していた本を借りてきて早速読みふけります。
周防 柳「高天原ー厩戸皇子の神話」
以前読んだ「蘇我の娘の古事記」が面白かったのでこちらも読んでみました。「蘇我の娘の古事記」のプロローグかも。
外国のように、倭国も国史を作ろうという壮大な試みに挑戦する厩戸皇子。
大王として確かなのは遡っても10代くらいまで。
ミマキイリヒコ(崇神天皇)が三輪山のそばに宮を建てたらしいが・・・
ということは分かっているものの、それ以外はよく分からないので、
豪族や地方の古老たちからも色々な伝承を聞き集めて「国史を作ろう」とするのです。
そして、「大王家は日の神様の子孫」ということにしようと神話も作ろうとします。
なかなか斬新で面白いです。
皇子にとっては神話の創作も小説を書くかのような作業なのかな?
国史編纂は蘇我家とともに行われたため、乙巳の変で蘇我本宗家の滅亡とともにいったん中断し、「日本書紀」「古事記」は藤原不比等が作った際にはどれだけ反映されているのかは、専門家の意見が必要です。
(この作家さんは渡来人の船氏が陰ながら引き継いでいたことになっていますが)
「ものを語る者は、おのれの利からしかものを語らぬものじゃ」という皇子のセリフがたびたび出てきますが、まさにその通りですよね。
伝承を語るときに、その人物がどちら側の人物かで語られる人の人物像は変わります。
モモソヒメ(三輪山の神様と結婚した媛、卑弥呼とも考える説も)の神話やオキナガタラシヒメ(神功皇后とされる媛)の話など、「なるほどねー」の伝承が作中で語られています。
モモソヒメの話は特に面白かったです。
そもそもの神話が唐突な話なので、こちらの話のほうが自然な感じ。
厩戸皇子の上宮王家と蘇我家も滅んでしまうので、「国史をつくる」という試みも政治に翻弄される感をすごく感じました。
でも、まあこれは小説だから良いけれど・・・
実際のところ日本の神話って、なんらかの地方の伝承はあったとは思うけれど、奈良時代に為政者が作ったものですよね?それを真実の歴史として教育していた戦前って怖いなと。
天皇が太陽神の子孫なんて、無理がありすぎでしょ?!
私は皇室♡が強いのですがこれは持論です。人間として国民のために祈り慰める象徴としての天皇を敬愛しております。太陽神の子孫だから崇めているわけではないです。
話はかなりはずれますが、「◎◎神話」という言葉があるけれど、(例えば「子供は3歳くらいまで母親が育てたほうがいい」とかいう類いのアレです)かくたる証拠もないのに普及していてそれを信じて他者に強要してくる感じに似ている気もします。
周防 柳「余命二億円」
近所の子供を助けて植物状態になってしまった父。
その延命治療をするかどうか。
引き込まれるように読み進めていましたが、だんだん気持ちが悪くなってきます。
長男(養子)は事業がうまくいかず、入ってくるであろう二億円をあてにしていて、延命治療をしないよう次男を説得する。
次男は子供の頃に腎臓病をわずらい、父親から移植を受けているので、父を見捨てるのは自分の一部が死んでしまうように思えて、説得に応じることができない。
父親は工務店の社長で、人情家で「大将」と職人たちから慕われている。
長男を養子にしたいきさつもその後の接し方も「小説だからでしょ」と突っ込みたくなるほどのいい親父さん。
それにくらべて、長男は山っ気がつよくてお金と女にだらしがなくて最悪に描かれてるし、次男も腎臓病を克服して真面目な普通の人かと思いきや、???ということをしでかしているしで、だんだんムカムカしてきました。
これじゃ親父さんがかわいそすぎる。
次男の嫁が怒って出て行ってしまうのも「分かるー!!」
どんでん返しの後の「終わり良ければ総て良し」的な終わりが「えぇー?!」です。
現代ものは、人間の弱さや汚さがリアルに分かるので精神的にキツイですね。
嫌な人物や残酷な出来事も時間オブラートのせいで伝わり方が鈍くなるので、時代もののほうが気楽に感じます。
読み終わった後で師匠(夫さん)に「もし私が植物状態になったらどうする?」と聞くと「お金の続く限り治療をする」と言われる。
「でも、もう復活しそうになかったら延命治療ではなくて、臓器移植とかにまわしてもらっていいんだけど。私の一部がこの世界のどこかで生きていたら素敵じゃない?」というと「それは脳死にならないとできないでしょ?」と。
「植物状態」と「脳死」ってどう違うのか、調べておく必要がありますね。
師匠にはお子さんがいるけど、私にはいないので、老後どうするかも相談しておかないと。
老後の家を建てる予定で、私のほうが師匠より8歳年下で「俺より先に死なれたら俺はさみしくて生きていけない」(関西人はいつも大げさ)らしいので、長生きする予定ではありますが、人生は何がおきるかわからないので考えておく必要がありますね。
カズオ・イシグロ「日の名残り」
自粛期間中に友人におすすめされた本。
1920年代から30年以上にわたってイギリスの貴族のお屋敷の執事として仕え、その後アメリカ人実業家にお屋敷付きの執事として仕えるようになった男性の話。
ご主人の休暇中に車を貸すからドライブ旅行をしたらと提案されて、元の同僚の女中頭の女性を訪ねる旅行をしながら、回想したり、ふれあった農家の人々とのやりとりから色々考えるという話です。
大きなお屋敷の執事、女中頭、雇人たちの世界というのは、私とはほど遠い世界なので興味深かったです。
執事という仕事をどのようにとらえているか、どのようにあるべきかを執事たちが召使部屋で話し合った時代もあったとか。
邸宅で大事なパーティがあり仕切るために父親の臨終に立ち会わないシーンにはちょっとひきましたが、
「執事」という仕事に誇りをもち、自分の領分たるをわきまえて、滞りなく職務を遂行するという姿勢は、仕事について文句ばっかり言ってる私からしたら頭が下がる思いです。
女中頭の女性とのやりとりに、執事の主人公のことを「なんて鈍い人なんだ!」と思いましたが、主人公の良さはよい執事たることだけを考えるということだから仕方ない。
途中出てくる「品格とは何か」とか「庶民が政治参加すること」とかに対する考え方は興味深かったです。
友人になんて感想を送ろうか迷います。
分かりやすい感動の話が好きだから、しみじみした話を物足りなく感じるなんて未熟な感じがします(笑)
でも、これがノーベル賞なんだ・・・
村上春樹の小説は主人公が変わりものが多くて疲れるので好きではないのですが、これがノーベル賞というのも基準がよく分からないですね。