ちょっと大げさなタイトルにしてしまいました。
我が家のお墓事情
先日夫さんの納骨が終わりました。
イナゴ兄弟たちは相続はともかくお墓のことに興味なさそうなので呼ばないし、大阪の義妹さんも来ないというので、私の父と妹たち甥姪と私の身内だけでした。
私たちに子供はいないので、樹木葬式のお墓にして、夫さんの後で私が入って13年経ったら合祀されてお墓は無くなるという形式。継承者がいなくても大丈夫ということでこちらにしました。樹木葬にも色々ありますが独立したお墓で土に還るわけではありません。
墓石は自分でデザインするので、二人の好きなものや庭の花を私が手書きして墓石に刻んでもらいました。
なかなかいい感じでした。妹たちは海外の墓地みたいと言う。確かに植栽が多くて卒塔婆がなくて明るいかも。(日本の墓地はなんとなく暗いイメージ)
お寺の一部にある霊園なので、たんに納骨するのではなくて、本堂で法要もしてもらえるというので、檀家になるわけではないですが法要ということでお経も読んでもらいました。だけど胸がいっぱいでご住職の説話(講話?)も私は頭に入らず。話し上手で父は喜んでいた。
墓前でも再度読経してもらってからいよいよ墓石を閉じたときはやっぱり泣いちゃいましたね。
普段、信仰をもたないのにただお骨をお墓に入れるだけだと淋しい気がして法要をしてもらったけど、夫さんには戒名もつけていない。(私は夫さんの名前が好きなので、お金を出してわざわざ別の名前をつけたくない)
夫さんはどこに?
毎晩お線香をあげながら写真に向かってしゃべってるけど、お骨を入れてしまったからこれからはお参りしたときにしゃべるほうがいいのかな。
といいつつ、まだ写真に向かってしゃべっているけど。
仏壇も位牌も作らなかったし、信仰がないので形式も定まってないです。
夫さんはどこにいるんだろう?
誰かは「いつもそばにいてくれてるよ」という。
「天国から見守ってくれてるよ」と言う人もいる。
夫さんはいい人だったから天国に行ったと思うけど、一応仏教徒だから極楽かな?
クリスチャンの友人宅で
先日クリスチャンの友人宅に遊びに行った時にご尊父もいらして、子供の時から知っているので「お久しぶりでーす」なんて話していたのだけど、
その時にキリスト教では亡くなったら天国に行って、友人も家族もみなそこにいるから必ず会えると言うので驚きました。
クリスチャンの方は生まれ変わらないそうですよ。
夫さんと「生まれ変わったらまた結婚しようね」と言っていたのに。
どっちが救いになる?
友人には私が弱っているときに何度も家に来てもらったりして助けられたからその感謝を言うとご尊父は「神様のご加護」という。
「神様のご加護ではなくて、〇ちゃんが優しいからではないですか?」と思わず反発してしまう。
「許すことが心の平穏になりますよ」と優しく言ってくださったけど、イナゴ兄弟を許して安らかにいられるかどうか・・・ここにも反発。
友人には「年取ってきてみんなに『そうですねぇ、はいはい』と聞き流されてるのに、久しぶりに食って掛かられて、今日はかなりしっかり話していたから話につきあってくれてありがとう」と言われてしまった。
西国巡礼も
西国巡礼は、観音様をお参りすることで極楽往生に繋がるというけど、作られたものだと分かっていてあえて始めました。
何か目標が欲しかったから。
本当に極楽往生するかどうかは分からないです。
古代史好きで、八百万の神様も好きだし、仏像を見るのも好き。
神仏に祈るし、お詣りもするけど、信仰というのとは私はちょっと違う感じ。
真剣に願っても叶うとは限らないということが分かってるから。
そもそも現世のご利益のために祈るのか?
夫さんと一緒に行こうねと以前話していた那智大社に行き、朝早く誰もいない熊野古道で夫さんの名前を呼び泣きながら歩いていた。
私に信仰があれば心は楽になる?
そうとも思えないのですよね。
「チ。」というマンガで、親を亡くした子が「神様の思し召しだから、悲しんではいけない」と他の村人に隠れて泣くシーンが印象的で、
よく「乗り越えられない試練は与えない」とかも聞くけど、そんな神様なら信じたくない。
某宗教団体が多額の献金をさせて信者が被害にあうニュースを見て、信仰って何だろうと疑問がわきます。
親が狂信的信者で、子どもが経済的に困窮していると聞くと子供は可哀そうだけど、心が平穏になれるから親は幸せなのかな。
私は献金を必要とする宗教には入信しませんけどね。