今日は病気のことを書きますが、病気の状況は人それぞれということを踏まえてお読みください。
私の受けた治療
昨年1月に乳がんが見つかって、3月末に入院手術をしました。
病巣は12mm、リンパ節転移もないというので、部分切除術を選択しました。
その後放射線治療を終え、ホルモン剤を最低5年は飲むという治療を継続中です。
放射線治療中に夫さんが亡くなって、今思うとあの頃は辛すぎて記憶もぼんやりしています。
タモキシフェンというホルモン剤を3か月に一度処方してもらっていますが、
私としては毎回でなくてもせめて半年ごとくらいは検査をするのかと思いきや、処方するときは先生の問診だけ。
しかも、主治医の先生ではなく外来専門の先生がカルテを見ながら聞いてきて「じゃあ、今回も同じお薬出しますね」てな感じ。
同じ病院仲間のお姉さまと「なんかちょっと物足りなくて不安」と話す。
術後一年の検査
先週は通院日だったのですが、今回は術後1年ということもあり、マンモグラフィーや血液検査もありました。
血液検査は混んでいて待っている時、夫さんの付き添いで待っていたことを思い出して泣きそうになっていました。
二人して国立がん研究センターに通っていたのですが、どちらかというと自分の通院よりは夫さんの通院や入院のことの記憶のほうが強いです。
次にマンモグラフィー。
女性なら分ると思いますがマンモグラフィーは痛い。
痩せている知り合いのお姉さまは「皮を引きはがそうとするかのようにひっぱるから痛い」と言う。
小太りの私は無理に押しつぶされるので痛いのですが、今回は技師さんがあまりうまくなかったのか、術後の側が痛すぎて機械から逃げてしまいました。
こんなの初めて。技師さんに励まされながらなんとか検査を終えました。
放射線科の先生の問診(特に内容がない。「お元気でしたかー?」程度。もう放射線科には来なくていいと言われた)。
最後に主治医の先生との問診。
転院?
主治医の先生が画像を見て、血液検査の値を見て、触診して「経過は順調ですね。心配ないですね」と言う。
とりあえずほっとしていると、
「ここまで来るのが大変だろうから、近くのクリニックを紹介しますね。私の診察は次回は一年後になります」と言う。
確かにバスを乗り継いでくるのはちょっと大変だけど、先生とは来年まで会わない?
そして、別のクリニック?
返事もしないうちに、紹介状の準備をする先生。
「今日渡した薬が無くなる前にこちらに予約をとって行ってください」
確かに、今度の病院は家からは行きやすいところでした。
受付で画像のCDももらって帰る。
複雑な気持ちです。
がんセンターに行くと、患者さんも付き添いの人も高齢者が多いし、車いすの人もいて夫さんを思い出していつも泣きそうになるからあんまり行きたくないけど、
主治医の先生になんだか見捨てられた気持ち。
病気仲間のお姉さまとお祝い
3か月ごとに会っている人生の先輩がいます。
その方も50代で夫さんをがんで亡くし、二人のお子さんを育て上げ、乳がんになり私とは放射線治療中に出会った方。
今週ランチして、二人とも無事に一年を過ごせたことを祝う。
「こうして毎年『今年も無事に過ごせたね』とあと4年祝うことができますように」と。
乳がんは5年ではなく、もっと後で再発することもあるのですが、まずは5年を目標に二人で励ましあう。
お姉さまは転院を進められなかったそうです。
「しゃおれんは軽かったからよ」と前向きに言ってくれたので、少し気が軽くなりました。
食事の話
本やネットでは、がんにいい食事とか悪い食事とか色々な情報が溢れています。
夫さんのために藁にもすがる思いでニンジンジュースやグリーンジュースを作っていたことを思い出すと泣けてしまう。
今ではジューサーはしまいっぱなし。
お姉さまと「何を食べたらいいのか」という話になるも、結局は「過ぎたるは猶及ばざるが如し」というか、なんでも「過ぎなければ」大丈夫なんじゃないかということに。
夫さんは煙草も吸わないし、ランニングや登山もしていたのに、肺がんになってしまった。
健康に気を付けていても病気になる人はなるし、ならない人はならない。
ストレスなく好きなもの食べて好きなことして暮らすのがいいんじゃないかと思う。
夢で逢えたら
お姉さまに「まだ夜とか泣いちゃう?」と聞かれました。
お姉さまも夫さんが亡くなった頃は、「昼間は仕事もあったし、子どももいたから夢中だからなんとかなるんだけど、夜に一人の時とかね」と言っていました。
大丈夫になるまでかなり時間がかかったと言っていました。
せめて夢で逢えたらと思うけど、夢を見ていないです。
多分見ているんだろうけど、夢を見終わってから起きるから覚えていない。
先日、朝に地震があって目が覚めたけど、その時はちょうど夢を見ていて覚えてます。
夫さんが「耕運機を買ってあげる」と言ってくれる夢でした。
「耕運機なんていらないよー」「耕すのが大変って言ってるから」「大丈夫ー」
のあたりで目が覚めました。
でも、画像は見えてたけど、音がない夢でした。
(それでも話したと思ってる)
その日は家庭菜園で小松菜を収穫してスコップで耕したっけ。
沖縄旅行から戻って暖かくなったのでランニングを再開しました。
若い頃は月に300kmくらい走っていたのに(フルマラソンは20回以上完走してます。自己ベストは3時間25分)、
今は8.5kmのコースをゆるく走るのが精いっぱい。
ホットヨガは続けているけど、相変わらず体が硬い。
私は病巣も小さかったし、転移もなかったから、再発する確率は低いはず。
それでも、再発する可能性がゼロではないから、その時は夫さんが呼んでいるんだと思って前向きに受け入れます。
早く会いたいような気もするし、色々やってから報告したいとも思うし。
やっぱりまだもう少し待っていてほしい。
どうかあと4年、多めに見積もって10年このまま無事に過ごせますように。