安部龍太郎「維新の肖像」は目からウロコでした。
明治維新は、
新政府側となった薩長が目的を遂行するためなら手段を選ばず、
勝利した後は自分たちの利益を確保するために恭順したものすら許さず武力で徹底的に倒し、
明治維新を肯定するような教育を庶民に施し洗脳してきた。
そのような義も何もない方法を良しとしてきた政府の後継だから、
東アジアへ進出するために謀略や暴力を繰り返していると朝河氏は考えたのです。
なるほどーーーー!それなら腑に落ちますね。
歴史学者で、後にイェール大学の教授となった朝河貫一氏をそもそも知らなかったのも恥ずかしいですが、
この方は「日露衝突」として日露戦争時には日本の立場を擁護しつつも、
その後の日本の外交政策からいずれ世界で孤立し各国と戦争になることを予測し、
「日本の禍機」を著したり、政府や言論界の要人に手紙を送ったりするも聞き入れられなかったとあります。
この小説の時代は上海事変後。
論文としてではなく小説として明治維新を記そうと思い立ちます。
この小説は、イェール大学での朝河氏と、戊辰戦争を迎えた父が並行して書き進められていきます。
(父は、朝河氏が書いている小説の中で登場しているという様子なのかな)
明治維新を描いた小説は、
先進欧米諸国を知って、近代化の必要を悟った薩長はじめ新政府軍と、
でも、この小説は逆の視点なのでぜひ読んでほしいです。
物事を一つの側面からだけでなく違う面からも見るのって大事ですよね。
もし、武力革命を起こす新政府軍ではなく、
日本の近現代は変わっていたのではないかしら。
(孝明天皇も毒殺説あるし・・・)
「武士道」、「人としての生き方」
それが実践できないからこそ、この小説に感動するのかも。
元日に撮りダメした「映像の世紀」で強国の陰謀、弱者への苛烈な仕打ちを見るにつけ
「正義の戦争」なんて無いとつくづく思うのです。