日々のあれこれーのんびりくらし

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終の棲家で花遊び❀

ミャンマーについて勉強中

 
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来年師匠(夫さん)とミャンマー旅行に申し込み、ただいま絶賛勉強中。
アンコールワット、ボロブドゥールが良かったので世界三大仏教遺跡の残るはバガンというわけです。
パゴダがたくさん点在する写真を見てすっかり魅了されました。
 
さて、ミャンマーといえば、バガン遺跡だけでなく、スー・チー女史やロヒンギャ問題など最近何かとニュースでも見ますが、イメージ先行で実はあまり知らなかったです。
そうそう「ミズシマー、一緒に日本へ帰ろうー」という「ビルマの竪琴」もうっすら覚えていますが、細部は忘れてしまってます。
そこで、旅に出るまえの恒例、お勉強期間。図書館で色々紀行文を借りてみました。
 
上記写真左から
「旅名人ブックス ミャンマー 仏教遺跡の宝庫を歩く」著 邸景一 2003年
「秘密のミャンマー」著 椎名誠 2003年
「こんなはずじゃなかった ミャンマー」著 森哲志 2014年
ミャンマー いま、いちばん知りたい国」 著 中村羊一郎 2013年
 
初版の年(書かれた年)と著者の旅の目的によっても印象がさまざまでどれも興味深く読みました。
忘れないようにざっくりとメモ。
 

「旅名人ブックス ミャンマー 仏教遺跡の宝庫を歩く」

カラー写真が豊富で、遺跡や街、歴史の説明が多くガイドブックのようです。
見るだけで楽しくなり、旅が待ち遠しくなります。(と言っても、私たちは写真のすべての地域に行くわけでなく、
ヤンゴンバガンとゴールデンロックにしか行かないのですが・・・)
パゴダは仏舎利塔なので外から見るだけ、寺院は本尊の仏さまがいてお参りする施設、僧院は僧侶が修行する場所、同じ敷地に並んでいたりするけど本来は違うものとか、
敬虔な仏教国で国民皆僧制度をとっているため、7歳から11歳までの間と、20歳を過ぎてからの二度、4日から7日間という短期間ながら僧院に入って修行することが義務付けられているとか、
女性のタナカという独特の化粧とか、
色々余談も面白く読みました。
 
 

「秘密のミャンマー

椎名誠氏一行が旅する様子を軽妙な文章で書いてあって面白かったです。
好奇心旺盛で丈夫な胃袋を持っていて楽しそう♪
ミャンマー料理は辛いはずが、辛さよりも油の多さに閉口する食べ物の話も興味深く、
田舎を警笛をものすごく鳴らしながら進む車の話とか、
日本の中古車は信頼があるから漢字をそのまま残して走ってる話とか、
僧侶の修行や托鉢の話などお坊さん関係の話も多かったです。
ただ、旅に出る直前に9・11のテロがあったもののミャンマー国内では一切報道されず、
アメリカにいる娘さんにアフガン爆撃の話を聞いて第三次世界大戦になったら、水島上等兵のように奥地へ逃亡するかなどと考えたり・・・
テロやアフガン戦争のことも知らず(知らされず)静かに仏さまの前で礼拝し瞑想する人々のほうが幸せなのではないかーと言いつつも、信仰心の篤い人々を支配するのが軍事政権ということにも思いを寄せています。
 
 

ミャンマー いま、いちばん知りたい国」

こちらはお茶の研究をしている著者が1990年代から20数年にかけて数回にわたりミャンマーを研究旅行したもので、椎名一行が観光地メインなのに比べ、こちらはお茶を栽培している山や
太平洋戦争中に日本軍が進駐した地域が多く述べられています。
タイ、ラオスとの国境付近は、けしの栽培地域のため立ち入りが難しかったそう。
阿片撲滅のために替わりになる植物の栽培として蕎麦栽培を進めたジャイカの話(その後、その話を進めた議員が失脚して話はとん挫、輸送の際に品質が劣化してしまい日本の業者は買い取り拒否したとかでこの計画が難しいものだった。そもそもミャンマーの人は蕎麦を食べないらしい。)とか、
中緬国境は少数民族自治区であり、中央政府も手が届かないため中国企業が進出していて、中国国内では禁止のカジノもミャンマー国内ではできるからと景気が良いらしいとか、
中国の風習である纏足をしていたおばあさんがいるなど中国文化の影響下にあることをうかがえる一方、
インドとの国境に近い地方ではクリスチャンが多いとかインドルピーも使えたりとかまた違う雰囲気、
旧日本軍の話もあちこちで見られます。
インドに近いカカボラジ山は標高5581m、南国ミャンマーにも雪山があるということも驚き(麓のプタオはリゾート開発が進んでいるそう)。
お茶を発酵させて食べるラペソーという食べ物も興味あります。
緑茶を飲む文化は日本と同じ。食堂では緑茶は無料で提供されるし、竹筒茶、紅茶も作る。
お茶の研究者でジャーナリストでないから入れた地域もあり地方の庶民の暮らしぶりに直接触れているのもとても興味深かったです。おそらく普通の観光客では分からないことも多いはず。
軍事政権時代に大学が閉鎖され高等教育機関がないため教育の必要性を説く。(でもお寺で字を教えていたので、識字率は90%というのもすごいですよね)
校舎を送るよりも教育者を育成する、そして教育者が職業として成り立つための財源の確保のための支援がが大事という。その通りですよね。
 
鉱物資源に恵まれ、2010年以降民主化が進んでいくミャンマーに期待し、その国と友好関係を築いていきたいと願う。それは私も同じです。
 

「こんなはずじゃなかった ミャンマー

この本は2013年に訪れたジャーナリストの著者が軍事政権から民主化へと舵を切り、激動の時代を迎えているミャンマー情報を色々載せています。
かつては日本企業も進出していたのに、1990年代の軍事政権時代に欧米と足並み併せて撤退し、
その間に中国が深く食い込んだらしい。(水力発電所を建てても、その電力はほぼ中国に送電してしまうというむちゃくちゃなことをするとか)
でも、2011年の新政権発足以来、日本を始め他国も再びミャンマーに進出しているようで・・・
賃貸マンションがヤンゴンでは銀座並みに高いとか(レンタルオフィスも設備が悪いのに高くしかもネット環境が悪いらしい)、
企業進出を阻む法律の未整備の壁とか、前半はあまり興味を覚えず読み飛ばす。
鉱物資源が豊富なミャンマーはルビーや金も豊富で、紙幣の信用が低い時代を経験した国民はお金を貯めると金か宝石を買い、いざとなったら換金する話や、
多民族国家少数民族との混血が多いミャンマーは美女が多い話にはへぇーと。
しかし日本駐在員たちのお楽しみだった夜の街も、わずか数年で様変わりしたようで、
すごい美女は簡単にとれるようになったビザでバンコクに飛んで稼ぐようになって、
夜の街から美女が激減したという話だそうです。
この本が出てからはや6年、今はどうなのでしょう。
著者は、ミャンマー人は日本人と気質が似ていると言います。
この方にかぎらず、前三冊でも同じように書いています。ミャンマーの人はまじめでおとなしく、好奇心はあるけど人見知り。観光地でも物売りがしつこく付きまとうことはないし、治安がいい。
民族同士の紛争が起きたりするのは、民族の誇りをかけているからではないか、と。普段は街中で言い争いを見ることも少ない。
この国を先進国の欲望で食い散らすのだけはやめてほしいと著者は書いています。
 
 
 
紀行文はあくまでもその方の経験に基づくもので、私も同じように思うかはわからないけれど、
私は私の目を通してしか感じることができないけど、そこが良いです。
急激に変わろうとしている国へ旅行するのは活気を感じることができるので楽しみです。