日々のあれこれーのんびりくらし

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終の棲家で花遊び❀

岸本葉子「週末介護」を読んで

好きなエッセイストさんの本を図書館で偶然見かけたので。

ブログなどから、お父様を兄姉と姉の息子さんも交えて皆で介護していることは知っていました。
が、改めて一冊の本として読むと非常に勉強になるというか、考えさせられました。

介護について、当初父と同居しているお兄さんに任せるつもりだったそうですが、
お兄さんも仕事があり、昼間一人にしておけない状況に至り、
「一抜けた」つもりではいられなくなり、きょうだいで分担することに。

岸本さんの自宅のそばに2LDKのマンションを買い、
兄は平日そこから仕事場に通い週末は郊外の自宅に戻り、
平日昼間は姉が父を見て、岸本さんは週末泊まりこむことに。
甥たちも泊まってくれるようになり、家族で在宅で5年にわたり認知症の父を看たという。

認知症の人の感じ方、認知症の方への接し方、
おしゃれ、家での脳トレ
仕事との両立、親の変化への覚悟、トイレ問題・・・
こうして書くと重く苦しい介護日記に思われそうですが、
そこは岸本さんが書くとどこか飄々というかほのぼのしていて、
そしてほろりと泣いたりして、
いつか来る介護問題を抱えている自分にとっても読んで良かった本でした。

このお父さんが認知症ではあるけれど穏やかで、可愛いもの好きで、というキャラクターが素敵。
散歩をしていて犬と赤ちゃんを見つけると「かっわいいー」とガン見して足が止まってしまうとか、
お気に入りの犬のぬいぐるみに話しかけるとか。


ケアマネさんたちが会議のときに「穏やかだからデイに行ったらモテるわね」と話すのを聞いて、
飽きて聞いていないと思ったのにお父さんが「うふふ」と突然笑いだしたり。
(案外周りの話を聞いていることを知ってうっかりしたことは言えないと反省したり)


人に会って楽しい時間を過ごしたり、ホメられたり、公園に行ってお気に入りの木を見た時やリスの走り回るのを見たりしたときなど、
『父の頬に赤みがさし、細胞のひとつひとつがソーダ水の泡のように軽やかな音を立ててはじけだす錯覚に、私はとらわれた』という表現があり、素敵な表現だなあと感動。
認知症の人は記憶は失われたり、こちらの話すことがうまく伝わらなかったりするらしいけれど、
感情は伝わるというか感情を感じるらしいです。
介護者がイライラすると、「なぜ怒っているのだろう」と考えることはできないけど、「なんか怖い」とだけ感じて、
防御のためにうそをついたり、失敗をかくしたりするようになると。

身近に介護を経験したことがある人なら分かることかもしれないけれど、
まだ未経験の私にとって、そしてまだ差し迫っていないうちにこの本を読むことが出来て良かったです。
ただ中にあったら冷静に読めないはず。


実家の父も義父も、岸本さんのお父さんと違ってなかなか性格の癖が強いから、
介護となったら相当大変だと思う。
でも、できたら人生の最期は「そう悪く無い感じ」という風に感じられるように過ごさせてあげたいと思います。


それよりも心配なのは、8つ年上の師匠(夫さん)を送った後。
この話になると「どうしていつも俺が先に逝く前提なの」と怒られるけど、それはねぇ仕方ない。
だって、私、相当しぶとそうなんだもん。
だけど、子供のいない私がもし的確な判断ができなくなったりしたらどうしたらいいんでしょう。

あと40年くらいの間に、脳の衰えを防止するような画期的な薬ができないかなー。