日々のあれこれーのんびりくらし

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終の棲家で花遊び❀

「ビルマの竪琴」とインパール作戦

この正月に「戦慄の記録 インパール」というNHKの番組を見ました。
 
太平洋戦争中の悲惨な記録として必ずあげられる作戦ですが、
詳しいことはあまり知らなかったので見ていて勉強になりました。
 
対イギリス戦の重要なインドのインパールを攻略するために
ビルマから川幅600mの大河と2000m級の山脈を470kmを越えて行軍するという。
しかも短期攻略という作戦のため3週間分の食料しかなく、
兵站もなにも考えないままで、数か月に及んだ作戦では戦闘による死亡もさることながら
作戦中止後も含めると病死・餓死が6割にも及び3万人が命を落としたと言います。
 
その行軍路は「白骨街道」と呼ばれています。
 
驚いたのが、この無謀な作戦が初めから無理と分かっていたのに実行されたということ。
太平洋戦争の初期、ビルマ全土を攻略した余勢をかってインドに侵略しようとするも、
補給路や行軍路の難しさから保留となったのに、
戦況の悪化に伴い、勝利のために戦況の打開のためにインパール作戦を実行しようとなったと。
大本営の希望を聞いた牟田口中将が「ぜひ、勝利のために」と周囲の反対を押し切ったと。
補給ができないから無理との意見にも「卑怯者、大和魂はあるのか」と一喝、
作戦の変更を求める師団長たちからを怒鳴りつけ(独自の判断で撤退した師団がいたという戦時中あり得ないことまで起きる)・・・
 
 
田口司令官が作戦参謀に「どのくらい損害が出るか」と質問して「5000人殺せばとれると思います」と返事があった。敵を5000人殺せば攻略できることかと思ったら、味方の師団で5000人の損害がでるということだったと、斎藤少尉の回想にありました。
どれだけ死んだら陣地が取れるという上層部の考えをよく聞いたと。
隷下の軍人たちの命を数でしか考えない姿に憤っていました。
斎藤少尉は撤退中に病気になったため置いていかれ捕虜となったものの、
戦後日本に帰国され結婚し家族に恵まれたと聞いて一安心。
 
この番組は昨年の夏の再放送らしく、ネットで見たら色々な批判も多かったですが、
(描き方が軍上層部の批判ばかりだったため)
やっぱり戦争というものを考えるときにはこういった番組を見た方がいいと思います。
事実の一面にすぎないかもしれないけど、事実だから。
 
生き残り兵の証言として、遺体は兵や軍属、現地の住民が多く、
司令官クラスの人はいないというのも印象に残っています。
 
戦争に大義はあるかという問題については大きすぎるので今回は触れず。
 
ただ、私はどんな理由があっても始まってしまったら暴走して山火事のように広がっていくように思います。
だから、戦争にならないように努力をすべきだと。
 
今、隣の半島でミサイル開発をしている国に対して圧力をすべきという政策をとっているけれど、
太平洋戦争前の日本が石油の禁輸などの圧力をかけられて戦争につながった面もあることを考えると、
圧力だけが正しいのかわかりません。やぶれかぶれになりそうで。
かといって、従来のように対話路線でここまで来たと思うとそれもねぇ。
 
 
と、ここからやっと「ビルマの竪琴」です。
 
すでに二度ほど映画化されていますが、ほとんど覚えていない私は初めて読む小説が新鮮でした。
ドイツ文学者の竹山道雄氏が童話として子供向けの雑誌に連載したものです。
だから文体がとても教育的というかやさしい口調。
ビルマにいったことがない作者が習俗を知らないままに書いたそうですが、
なぜビルマかというと「敵国と歌を通じて戦闘を中止したというシーンを描きたくて、そのためには日本人が知っている歌で実は外国の歌「埴生の宿」や「蛍の光」などがあるのはイギリス、ということで舞台をビルマにしたと。
元は中国を舞台にしたかったのだが共通の歌がないためできなかったと。
 
戦後、反戦の機運が高まっている中、戦争で亡くなった人々の冥福を祈るような気持ちが新聞や雑誌にのっていなかったので、そういう思いで書いたと小説の後にあった「ビルマの竪琴ができるまで」にありました。
 
日本人ならざっくり知っているあらすじ。
「音大出の隊長が歌を教えてくれたその隊は歌を歌って士気を高めたり心を慰めていた。
水島上等兵ビルマ人に扮して自作の楽器で演奏して偵察をしていた。
終戦後も立てこもって戦闘を続ける日本軍の部隊に投降を進めるために水島上等兵が赴くも
行方不明となり、収容所にいた同じ部隊の人は心配する。
そんな中竪琴をもち、インコを肩にのせたビルマ人僧侶に見かけると水島上等兵にそっくり。
あの僧は水島か?なぜ、部隊に戻らないのか?仲間が心配する中、
隊長はインコに「一緒に日本に帰ろう」と言う言葉を教えて僧の元へ。
部隊に戻ってきたインコは「やっぱり日本に帰るわけにはいかない」と繰り返す。
日本に帰還する船の中で、読んだ手紙には
水島上等兵のこれまでのいきさつと、その道筋で出会った多くの遺骨を見てこれを埋葬し鎮魂するためにビルマに残ると書いてある。
 
 
子供向けということで、悲惨な戦闘シーンの描写はなく、
途中水島上等兵が首狩り族に助けられたり
ビルマにそういった習俗の民族はいないが、冒険的な一面として挿入したのでしょう)、
反戦というより色々考えさせられる問いが多かったです。
 
しかし、ビルマの僧侶は音楽を禁じられているので竪琴をもつこともないそうですが、
ビルマ人に扮して脱走した兵士も多いようです。
モデルとされる人もいるようですが実話ではないそうです。
ただ、敬虔な仏教国のビルマでは映画は上映されていないようですが。
 
収容所で
のんびり、にこにこして暮らしているビルマ人のほうが幸せなのじゃないかと誰かが言うと、
なまけものでいるから植民地にされたんじゃないかと反論したり、
日本は一生懸命近代化して素晴らしいじゃないかというものもあり、
でも、その一生懸命突き進んでこの戦争で負けたならどうなんだろう、といった問答をしているシーンがありました。
(本を返してしまったので、正しい引用ではないですがこんなニュアンス)
 
「一生のうち、一度は軍服を着るのと、袈裟を着る国はどちらがいいのか」と言ったセリフもあったような。
ビルマの男性は今も短期間ながら出家する制度があるそうです。
 
水島上等兵があまりに多くの遺骨が野ざらしになっているのを見て、
日本に帰るわけにはいかないと思うのって、
インパール作戦」の番組を見たらさもありなん。
 
水島上等兵が同じ部隊の皆が呼びかけても、「やっぱり日本に戻るわけにはいかない」と決意する。
泣きましたーーー。絶対に日本に帰りたいはずなのに。
きっとそれこそすごい数がひどい状態だったのでしょう。
 
 
普通の兵隊さんたちは日本が勝つと信じて闘っていて、
人を殺したり、殺されたり、病死したり、餓死したり、
普通の生活ではありえない体験を強いられたというのが戦争の怖いところだと思います。
 
それなのに、司令官たちは命を数としてしか考えていない。
戦場に残されたご遺体を埋葬していたら作戦の無謀さ悲惨さに気が付いたかも。
 
戦争で亡くなられた多くの方々、兵隊さんだけでなく、日本国内外で戦争の悲劇に遭われた方も多かった。
その多くの方のご冥福をお祈りいたします。
 
そして、このような悲劇がおきないために私たちができることを考えないと。
おそらく私は作戦を考えるほうではなく、作戦を遂行させられるか協力させられる側。
きっと数としてしか認識されない側。
 
 
先日聞いたラジオ番組で紹介された言葉
「君たちに戦争責任はない。ただし、悲劇を繰り返さない責任はある」
 
本を読んでからも、番組を見てからも考えがまとまらず時間がたってしまい、
いつものように長々と失礼いたしました。