でも、当時の馬って今の時代劇で見るようなサラブレッドではなくて、小さいんですよね?
騎馬といってもそんなに速く移動できるのかな、という疑問が。
でも、そこでちゃんと調べるのではなく、つい歴史小説に逃げてしまうのが私の甘いところ(笑)
大河ドラマ「雲と風と虹と」の原作となった小説を続けて読み切りました。
ちなみにこの大河ドラマが放送された当時、私はけっこう小さくて見ておりません。
ネタバレ注意です。
海音寺潮五郎「風と雲と虹と(原作)」とあった「海と風と虹と」
朱雀帝の御世、朝廷は腐り切っていて、売官も多いし賄賂や付け届けをしないと任官できない。
公領では良民を酷使しすぎて逃げ出すものも多く、
地方豪族たちはせっかく自らが開墾した荘も有力な貴族へ寄進することを要求される。
そんな朝廷に見切りをつけて世の中をひっくり返そうと考えているのが純友。
盗賊や海賊たちともつきあい、時に金銀も使って謀略をめぐらして。
自分が海賊たちと西から京に攻め入るから、東国で将門が反乱を起こさないかとたきつける。
海賊の追捕使を補佐する伊予掾に任命されながら、実は本人が海賊の首領になって襲ってきても、
朝廷は祈祷で退散させようくらいしか対策たてられないというように描かれています。
将門は京都で官位を得たくて運動しているもののイマイチうまくいかない。
描かれ方がスマートな純友と、力だけが自慢のまじめな中学生のような将門。
坂東武者を単純に描き過ぎなんじゃないかとひがみたくなる。
平将門の乱のほうは、なんとなく経緯を知っていたけど、純友の乱のほうはあまり知らなかったので、
(実際史料もあまりない様子)
この小説のようなこともあったかもしれないと面白く読みました。
色々と策をめぐらし、英雄的な気風の良さと気前の良さと配下を大事にするような純友でありながら、
自らの策にハマり、たった一度の判断ミスで(無茶をせず、慎重になったことで)
その後、勢いが減じて最後は破れてしまう。
純友の乱が鎮圧されることは知っていたけど、こんな風に描かれるんだなーと。
人間って、どこでどう風向きが変わるか分からないなと思ったものでした。
海音寺潮五郎「平将門」
千葉市図書館が昭和53年に購入したものらしく、紙が茶色になっていて、さらに本の後ろに貸し出し用の紙が貼ってるのに、(「下記の日までに返してください」という日付印を押すアレ。)日付印が一つも押されていないのに驚き。もしかしたら、もうじき廃棄になってしまうところだったのかも。
昔の文庫本はとにかく、字が小さくて読みづらかったーーー。
さて、こちらは、純友のほうと違って読んでいてイライラすること多数。
とにかく、将門が言葉も足らないし、変に生真面目で、損な役回りばかり。付け届けが当たり前の京で、身分が下位の者が清く生きていても権勢家には通じない。地元では、父が早くに亡くなって当主になって、伯父たちに所領を横領されても、結局どうにもできず。好きな女性はいつも従兄に取られる。
所領問題がベースになっていた一族同士のもめごとから、将門の婚姻がきっかけで戦闘に入っていくのですが、
将門の正妻の良子が出来た嫁なのに対し、伯父たちの嫁(源家の女性たち)が相当嫌な人たちで、
伯父たちが若い嫁のいいなりで同族同士の戦いに入っていくのがマンガ的。
将門はとにかく戦上手だけど、そもそも、仕掛けられた戦いに勝っているだけで、純友と違って特に強い意志があって戦争を起こしているわけではない。
コロコロ意見が変わる朝廷の判断によって、朝敵になったり、逆に朝命を帯びたり。
自分でも「それは悪い」と思っていても、注意されると逆に意固地になって「男の意地」とやらで押し通したり、
変な見栄や、非情になりきれないところとか、全く英雄的でない。
新皇になったのもまわりに押し切られてだし、興世王のいうままになるのが嫌でも議論が面倒で結局そのままにしておいたり。
あちらの本では、純友が色々運動していたけど、将門は純友と共謀などせず、ただただ巻き込まれているような感じ。
巻き込まれているといえば、仇の平貞盛も親を将門に殺されたのに、本来享楽的で京暮しの楽しさを失いたくないから将門と和睦しようとしていたのに、結局巻き込まれ、戦にやぶれ、隠れ逃げ回っていたのに、最後は藤原秀郷とともに行動したため助かる。誠実さは全くないのに、女性にもてるし。どういうこと?
あれ?こんな風に描かれるんだ。
最後の将門の義弟公雅と貞盛・秀郷のやりとりがほっとする。そして、雷が落ちるところに溜飲が下がります。
この小説の感想。
若くて美しいだけで女性を選ぶのはやめましょう(笑)男性の作家が書いたからなのか、若い後妻の言うことにいら立ちながらも、後妻のいいなりになるという姿は女性の読者には理解に苦しむ。嫁の実家に肩入れして、同族同士で戦う理由が嫁に焚きつけられてなんて不思議すぎる。
自分で「この方法は選んではいけない」と思ったら、潔く認めてやめる。義理だの、男気だの、へんな感情で自分の首をしめるのは愚の骨頂。
死んでしまったら負け。何度負けても運がよければ最後は勝つ。(漢楚の戦いもそうですよね)
どちらも流されているだけなのに、将門と貞盛の勝敗を分けたのは、運なのかも、と思ったのでした。
運が悪いと思わせるより、悲劇的な最期と思わせるような。
再放送してくれないかしら。加藤剛さんの将門なら見たいなー。
今回もまた長々とした文章におつきあいくださってありがとうございました。
今年も色々と書き連ねましたが、お読みいただきありがとうございます。
来年もまたとりとめなく拙い文章ではありますが、読んでいただけたら嬉しいです。