2月もマニアックな本ばかり読んでいます
- 古田武彦「邪馬台国はなかった」
- 萱嶋伊都男「卑弥呼は福岡市付近にいたー邪馬台国は伊都国の近くにあった」
- 来間泰男「琉球王国の成立と展開 よくわかる沖縄の歴史」
- 嘉納大作・上里隆史「知れば知るほどおもしろい 琉球王朝のすべて」
古田武彦「邪馬台国はなかった」
この本は古代史シリーズで何冊も続くけどまずは一冊読んでみました。
感情的な他者批判はなく、検証に基づいて批判しているから良かったです。
そして、邪馬台国は九州にあったと思っている私は読んで納得できました。
邪馬台国と書くけど、実際に「三国志魏志倭人伝」に出てくる表記は「邪馬壹国」
「壹」は「一」の意味です。
これを邪馬台国を「ヤマト」に結び付けたかった学者たちが「魏志倭人伝」は誤記が多いと勝手に「臺」に改定し、「臺」の常用漢字が「台」なので普段私たちは「邪馬台国」と見るようになっています。
この本は、本当に誤記なのか?を古田氏が原本に立ち戻って一字一字検証して、「倭人伝」は正しく書いていることを明らかにしていました。
だから、「邪馬壹国」について正しく書いてあるけど、「邪馬台国(邪馬臺国)」はなかったというタイトルなのです。
粘着質だなーと感心するくらい、丁寧に見ていた。
方角や行程の改定についても納得できました。
なるほどーと思ったことはたくさんありました。
「臺」の字は「天子の住む宮殿」を表す文字。その字を東夷に使うはずないとか。
そして耶馬壹国は、博多湾に面した平野部とその周辺丘陵地域にあるとずばり。
「玉・鏡・刀」が出土している弥生王墓は、吉武高木(福岡市)・須玖岡本(春日市)・三雲・井原・平原(糸島市)で、そのうち、「中国の絹」が出土したのは須玖岡本遺跡だけ。
ガラスの勾玉や壁も上記遺跡から出土しています。
通説では奴国とされている福岡市あたりを「邪馬壹国」とし、奴国は糸島の内陸側、伊都国は前原・周船寺近辺としています。
と、なると平原王墓が奴国の王墓になるのかな。
先日、これらの遺跡を周ったこともあり、知っている地名が出てくるとおぉーっと嬉しくなりますね。やっぱり行くって大事だなと。
萱嶋伊都男「卑弥呼は福岡市付近にいたー邪馬台国は伊都国の近くにあった」
先日一緒に弥生遺跡巡りをしてくれた友人が教えてくれた本。
友人は図書館で借りたというが、こちらにはなく(図書館の蔵書の地域差ですね)Amazonで中古で買いました。
古田武彦氏の本を読んだ後だとちょっと物足りないです。
色々な人の説の引用が多く、よく勉強している学生の卒論のようです。
唯一の持論の「倭国」三十国の比定も現在の地名に無理やりこじつけている感がして残念。
でも、古田武彦氏の本は分厚くて粘着質で冗長なので読みづらいので、コチラの本は簡単にまとめてあって言いたいことはすぐわかるので便利かも。
「伊都国は古事記に出てくる天孫降臨の地」という「伊都国歴史博物館」のガイドさんが教えてくれたこともこの本に載っていました。
邪馬台国九州派の私には読んでいて援護射撃を受けているように感じる本でした。
来間泰男「琉球王国の成立と展開 よくわかる沖縄の歴史」
沖縄に世界遺産を見に行こうと思ったので事前学習。
近現代の沖縄史は授業でも取り扱うけど、琉球王朝については「中山の尚巴志が統一した」程度でほとんど出てきません。
なので、読んでみたら沖縄史興味深かったです。
まず、人口が少なく海産物が豊富だったので、稲作文化を導入しなくても暮らせていたので、沖縄には弥生時代がなく「貝塚時代」と言われる狩猟採集時代が長く続いていたこと。
そして、次に訪れる城(グスク)時代。本土の戦国時代の石垣よりも200年近くも早く沖縄では石垣を持つ城が作られていました。
現在も残っている城(グスク)は、城塞のように見えるので抗争があったように思われているが、城はそもそもは聖域として石積をしたことに始まり、現在残っている城も按司と呼ばれる指導者(支配者ではない)たちの住居であって、戦争のための城ではないというのが驚きでした。
鉄砲伝来よりも前に造られた城だから狭間もない。
沖縄には武士がいないし、封建制度もなかったとか。
士族といわれる人たちも「サムレー」と呼ばれて王様に仕える文官の貴族で武士ではない。
通説とされる沖縄史も、本土の研究者が本土の歴史観で理解しているために生じた誤解と。
ただ、他の人の説の批判が多すぎて、読んでいてちょっと疲れました。
面白いと思った一言を引用します。
「日本で武士が生まれたことは日本の先進性を示すものではなく、むしろ後進性を表すものだという意見もある。武士が生まれたのは法や倫理による統治が困難で武力に頼らざるをえない社会だったからである」(40Pより引用)
中国も韓国も科挙があって武官になるのも試験が必要だったのに、日本は実力があるものが覇権を取った感じです。
でも、たんに「社会が違う」だけでどっちが先進性があるかとかいう話ではないと思うのですが。
嘉納大作・上里隆史「知れば知るほどおもしろい 琉球王朝のすべて」
正直、上の本よりこちらのほうが面白かったです。
歴史についてはざっくりで、暮らしとか制度とか文化の紹介だったので。
歴史を読んでいて、一人の人に名前がいくつも出てくるのが気になっていたらここにありました。
王朝時代、士族には和名と唐銘と童名の三つがあったとか。
例えば、組踊りの創始者とされる「玉城親方 朝薫」さんはこれは和名。
玉城(たまぐすく)は領地の地名などで、異動があれば変わる可能性あり。
親方(うぇーかた)は位階の称号。
朝薫(ちょうくん)は名前。このときの「朝」は名乗りといい一族全てが同じ文字。向姓の人は「朝」と決まっていた。
唐名は「向 受祐(しょう じゅゆう)」
姓と名乗りが同じなら先祖が同じ一族だと認識できるそうです。
童名は「思五郎(うみぐるー)」でした。
童名はわらびな、どうなーと呼ばれ、一生を通じて使われる名前で、男なら樽(たるー)、次良(じるー)、女は鶴(ちるー)など。真・思などの接頭美称や、金などの接尾美称も使われました。
(尚泰王の童名は「思次良金(うみじるかに)」だそうです。呼びにくそうーー)
違う国だったから当然なのですが、文化が違うので興味深いです。
沖縄はハイシーズンに一人だと、淋しいおばさんになりそうなので、オフシーズンに旅行支援割を使って行くことにしました。
首里城は修復の様子を見学し、座喜味城、今帰仁城、中城城、勝連城、斎場御嶽、玉陵、園比屋武御嶽、識名園と沖縄の世界遺産9つを全て巡る予定です。
日帰りバスツアーと路線バスを駆使していきます。
私の「城は石垣!」に理解をしめす夫さんがいたら運転してもらえたのにと思うも、夫さんは「美味しい食べものとお酒がないところは行かない」といい、夫さんは沖縄料理が好きではなく夫さんと沖縄に行く予定はありませんでした。
旅行までもうちょっと琉球史の勉強しないとね。