先週は青森の妹と姪が春休みだからと帰京し、一緒に出掛けたりして楽しかった。
働く気も何もする気が起きなくて、家でのんびり過ごしていると話すと、
かつてのアクティブな私を知っている妹だから、「それだけ大変だったんだね」と気遣ってくれた。大人になったなあ、妹も。
妹の野望を聞いて、少し前向きな気持ちになった。
色々な懸案事項が解決して、これから体力つけて元気になったら、何かしようかなと思うほど。
その他にも、前の職場の先輩と会う機会があった。
お姉さまのご主人が定年退職後、再雇用となったが、仕事の内容はあまり変わりないのに、給与は激減し、不本意な扱いを受けて退職してしまったらしい。(詳細不明)
引き留めてくれなかったことも不本意らしく、家でため息をつきながらテレビを見るご主人が気づまりで、お姉さまはパートを続け、友人と会う約束を作って家を空けるようにしていると言う。
私が「夫さんがいなくて淋しいのはどうにもならないけど、家にいるのは安全で安心。庭仕事して、ハングルの勉強とドラマで、一日は終わるし、たまの推し活や友人とのランチで淋しくない」と言うと、目からウロコのような顔をしていた。
ご主人は退職金もそれなりにもらっていそうで、「年金の受給まで数年あったとしても、生活に困ってないならリタイア生活を楽しめばいいのに」と私が言うと、
「周りが働いているから、働いていないと疎外感を感じるのかも」
「仕事しかしてこなかったから、それ以外の生きがいがないのかも」とのこと。
職場以外に居場所がないとそうなるのかな。
生きがいがないとだめですか。
家にいちゃいけないの?
今でこそ、人生百年時代で元気なうちは働き続けるとかいうけど、少し前の円高のころは、定年退職後に海外でのんびり暮らすとか紹介されていた気がする。
働かないと生活が苦しいならともかく、そうじゃないなら、のんびりすればいいのに。
働かずに倹約生活するより、働いてご褒美をあげるほうが経済は周りますけどね。
最近はなんだか、ずっと働かなきゃいけない雰囲気。
社会と繋がっていたいという気持ちはわかる。それで、私もパートに出ていたから。
いざ辞めても、案外平気なのに。
お姉さまとはたびたび遊ぶので、経過を聞こうと思います。
妹と会った時は前向きになったのに、天気が悪い日が続いて、とたんに消極的になってしまった。
こんなにダラダラ書いたけど、家にいる自分を正当化しようとしているのかな?