日々のあれこれーのんびりくらし

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終の棲家で花遊び❀

いつになったら

先日、人生の先輩とランチしました。

その方は、50代でご主人をがんで亡くされ、お子さんを育て上げ、今はお孫さんもいて、放射線治療中に出会ったまさに私と同じ境遇で20年先輩の方。

私たちは3か月ごとに薬を処方されるので、その月ごとに経過などを話しながらランチするのですが、私は泣きごとをきいてもらっています。

 

その方は、ご主人を亡くされた当時は事務のパートをしていて、昼間は仕事があったし、家に帰れば大学生と高校生の子どもがいて、忙しかったから大丈夫だったけど、夜に一人になると泣いていたと言っていました。

「いつになったら、メソメソしなくなりましたか」と聞いたら「3,4年くらいして、やっと泣くのが減ったかも」との答え。

「別に気持ちが冷めたわけじゃないけど、落ち着いた」という。

 

職場の人はご主人が亡くなったことを知っているのに、主婦あるあるなのかダンナの悪口大会がしばしば開かれると気まずかったと。

過去形の話をするのもなんだから、黙っていると、みんな気づかないのか、気づいてもその話題が終わらないことが多くて、と。

「あんなダンナ、早くいなくなってくれればいいのに」と笑いあうのは聞くに堪えないというのを聞いてしまうと、

あぁー、外に働きにいくのは怖いなあと思う。

ダンナの愚痴か子どもや孫の自慢が始まったら、私は泣いちゃうよー。

子どもは最初からいないから、子供のいない淋しさは分からないけど。

 

職場に未亡人がいたら、そのあたり気遣ってあげてー。

私は、平気になるまで出て行かないけど。

 

以前の職場でも、ダンナの悪口大会はあったけど、そんなとき「うちは再婚同士で甘やかされてるから文句はないですよー」と言ってお姉さまたちのひんしゅくを買っていたほど。

私の友達はおひとりさまが多いし、結婚している友人は普通に仲がいいので大丈夫。

仲がいいのは羨ましくはあるけどそれほどつらくはなくて、「あんな旦那要らないわよ」的な愚痴という名のノロケを聞かされるのがつらい。

本当にいなくなったらどれだけつらいか。

 

先輩は、65歳で完全にお仕事をやめたけど、ちょうどその頃お孫さんが次々に生まれて、お世話に行ったりして、新しい生きがいができたと言っていた。

「それでも、ふだんは家に一人でいると、社会から取り残された気持ちになった」という。

今は、趣味やお友達とランチしたり、そうそう新しく麻雀教室に通い始めたとも言っていた。

「(旦那さんを)忘れてないけど、今は割と大丈夫」

いつになったら、そんな風になれるかな。

 

大家さんなので、働かなくても困らないし、調停が決着しないうちは落ち付かないから、この夏は猛暑を理由に引きこもっていました。

ぼんやりしていると、前妻の息子のむかつく言動とか思い出すから、そんな暇もないくらいボリューム上げてライブ映像を見たり。

前は大きい音が苦手で、テレビの音量は控えめにしてたのに。

一条工務店の家は音が外に出ないから良かった。お隣さんに呆れられそう。

 

ドラマを見ていても、つい「こういうのってひどくなーい?!」と、夫さんの写真に向かって言ってしまったり、

夫さんが聞いてると思うと、推しについても日本語ではなくハングルで「かっこいいー」というのが日常。

「おはようございます」や「行ってきます」などの挨拶も欠かさないけど、返事がないから淋しい。

 

去年は9月から西国三十三か所巡礼を始めて、12月に結願したけど、なかなかに忙しくて、少し気がまぎれた。

今は秩父巡礼と坂東巡礼を始めているけど、こちらは少しずつ進めるつもり。

終わってしまうと淋しいから、あえて急がない。

 

友人たちと会って趣味の話で盛り上がったり、歴オタ旅行したり、自分が傷つかないとわかっているところでしか、世間と繋がれない。

世間と繋がる必要はある? このままでもいいんじゃない?

でも、まだ50代前半なのに、一日の大半をテレビの前で過ごしているのはどうなんだろう?

何も考えないようにしていると、そのうちボケてしまいそう。

ハングルばかり聞いていると日本語忘れそうだったので、長々と書き連ねてしまいすみませんでした。

オクラの花