最近読んだ本を忘れないうちに読書メモ。
メモするのを忘れて図書館に返してしまいあやふやなものも多いため。
浅田次郎 「日輪の遺産」
メキシコ旅行中に読み始め、快晴の下プールサイドで読み切って泣いてしまった。
フィクションですが、あるかもしれないと思いつつ読んでいました。
既に映画化もされていたんですね。
知り合ったとたんに亡くなった老人の手帳には、終戦直前の信じられないようなできごとがつづられていた。当初は事実と思えなかったが、手帳を読み進めていくうちに、また関係者と会って話を聞くうちに「誰にも話すことができなかった真実」の辛さを知ってしまう。
主人公たちの戦後抱えてきた辛さは想像できないです。
あの戦争を生き延びた方たちってみんな多かれ少なかれ辛さを経験しているのに、それを乗り越えて穏やかに日常を送っているということに驚嘆します。
品の良い老婦人の久枝さんという女性はまさにそう。
マッカーサーがフィリピン独立のために用意した莫大な財宝を山下将軍が盗み出し、終戦直前に軍の最高幹部たちが日本の復興のために移送し隠そうとする。
終戦を決めた政府首脳たちから指令をうけた少佐と中尉とその部下曹長は、それを受け入れられない陸軍幹部たちから狙われながらも密命を遂行する。
反撃のための新型爆弾と教えられた女子中学生たちは一生懸命作業するも、終わったところであの玉音放送が流れる。
戦後来日したマッカーサーは財宝の行方を探し始める。
財宝はどうなったのか?女子中学生たちは?少佐は?中尉は?というのは読んでみてください。
映画化したときは現代の部分は大幅に変わっていて、少佐の臨終にたちあった丹沢は出てこないそうですが、そのほうがテンポがいいかもしれません。
悲しい話でした。でも、いい人たちも多く出てくるので読み終わってからも嫌な気持ちにならなかったです。
遠藤周作「侍」
メキシコ旅行中に現地ガイドさんが薦めてくれた本。
江戸初期にノベスパニヤ(現メキシコ)との直接交易を目指して伊達政宗の使者としてメキシコに向かった支倉常長たちと彼らを利用して日本への布教を推進しようと企む宣教師の話。
資料が少なくて現在も本来の使節の目的などはよく分からないそうですが、結果として使節がメキシコに向かっている途中に禁教令が出て、戻ってきても評価もされず、お役目のために切支丹になったことで却って処罰を受けたりと、なんだか理不尽極まりない。
小説では支倉常長は身分が低い侍で、会ったこともない殿(伊達政宗)のために辛い旅を続ける。自分の領地の荒村を思いだし、切支丹になったら先祖たちになんと詫びようと思いながらも、役目のために表向きと心に思いながら改宗する。
宣教師ベラスコはモデルがいるようで、モデルの宣教師も激しい気性の持ち主だったようです。
読み終わって「理不尽で支倉常長が可哀そうすぎる」と言ってたら師匠(夫さん)は現地ガイドさんお薦めの本だけど読むのやめようかなあと言い出す始末。
城山三郎「望郷のとき 侍・イン・メキシコ」
こちらもメキシコの現地ガイドさんのおすすめ。
第一部は、支倉常長に随行した侍たちの話。遠藤周作の小説では、支倉常長たちも途中で遭難しても仕方ない身分に描かれていましたが、こちらでは支倉常長は正使として立派に描かれていて、主人公たちはさらに身分の低い御徒組や漁師から乗組員になったものなど。
支倉常長がスペインからローマに渡って絶望的な交渉をしている間、メキシコに残された彼らは、故郷に帰れるのかどうか不安になり、心を病んでしまうものや、現地の女性と結ばれて残る決心をするものなどさまざま。
でも、それだけの話で、あれ?これで終わり?と拍子抜けの感じ。
第二部は、城山三郎氏が支倉常長とともにメキシコに渡り、そのままメキシコに残った人々を探す話。明治以降の移民ではなく、江戸時代初期の使節となるとほぼ資料はなく痕跡もない。日本語に似た言葉があったり、風俗が似ていると言っても偶然であったり。
城山氏は、興味があって探しているのだが、途中で民族とか国家とか国籍は人間にとって何かと疑問を感じだします。
移民三世の青年が祖父の日本人を意識するのは、日本人を優れた民族と考えてそのことで自らの血を優れたものだと意識しようとしているから有用であるからで、有用でなくなれば日本人であるという意識も失われる。
「要は、よく生きさえすれば、何国人・何民族であろうとという構わないことである。個人にとって、国家とか民族とかは拘束を感じさせるものではなく、本来その程度のものであってよいのではないかー」(238P)
多民族国家のメキシコにあっては祖先に日本人がいるかどうかはあまり重要ではない。との文章に納得!
最近のテレビは「日本ってこんなに素晴らしい」「日本のすばらしさを外国人が訪れて感動する」という番組が多いですが、
日本人が素晴らしいのではなくて、丁寧な仕事ぶりを許される環境を作ってきた社会が素晴らしいのだと思います。相手を尊敬する、その社会であれば外国人が日本社会で「日本らしさ」を伝承していくことも可能だと思いますが、その点が難しそう。
効率や利益優先になって事故が増えてきたように思いませんか?
お客が店員に対して不寛容になってきたのも気になります。
とりとめない感想ですみません。
湊かなえ「白ゆき姫殺人事件」
化粧品会社の美人OLが殺されて、会社の同僚が容疑者として疑われる。取材するフリーの記者に証言する人たちの勝手な憶測。ネットでも色々な意見が飛び交う。
資料として証言者の話、週刊誌の体裁の記事、ネット上(架空のマンマローというツイッターのようなサイトがでてきます)の書き込み、最後に犯人逮捕の新聞記事といった形で小説ができあがっていて、面白い形の小説でした。
でも、湊かなえだけあって、イヤーな気持ちになる人たちばかり(笑)
それってこの作家さんがうまいってことですよね。
解説にあった「取材する記者のリアクションが薄いと微妙に話を盛ってしまうところに既視感を伴って迫ってくる」というくだりに納得。
登場人物たちは悪意もなく(自分の言葉を真実と思っているから)他人について語れるところが怖い。
無責任な報道で個人情報がさらされたり、炎上したり拡散されたり、こういった事件って実際にありそう。
ところで、師匠(夫さん)は「美人だと性格良さそうに見える」というが、私の経験上自分のことを美人だとわかっている人って性格悪いような気がします。多少のことなら許されるというか。内心どんなことを思っているかは別としてそうでもない普通の人は感じ悪いふるまいをできないような気がするのですが、みなさんはどう思います?
あぁー、若かりし頃「姫」にケンカ売られた時に、勝てないケンカは買わなきゃ良かった(笑)私には援護してくれるおじさんたちはいなかったのにーーー。
山内マリコ「あのこは貴族」
今回面白かったのはこちら。
東京の上流階級の箱入り娘の華子は良い結婚することが幸せだと信じて焦る。紹介されて巡り合った同じ階級の幸一郎と結婚することになるもどこか不安。親に大事にされて育ってきて、同じように夫にケアしてもらえるかどうかということに。自分が恵まれていて、苦労を知らない中身のない人間だということも知っている。
一方、地方から猛勉強して慶応に入り経済的な理由で中退し水商売を経てIT企業に入った美紀は、幸一郎と関係があるも、幸一郎は結婚相手としては自分を選ばないことを知っている。
幸一郎が誰から見ても好青年なのに情が薄いという設定が笑える。
そして、美紀がとった行動がかっこよすぎる。
他の作家さんならドロドロしそうだけど、気持ちよかった!
なので、この本は読後感がとても良いです。
苦労知らずの華子も最終盤で成長を見せるし。
「日本は階級社会」「金持ちは金持ちとしかつるまないから自分たちを普通と思ってる」「個人として接するときは親切だけど、違う階層とはつきあわない」「女性は分断されている」等々辛辣な言葉が連なる。
私はタクシーで移動してオークラのラウンジが落ち着くという階層に生まれていないし、そんな友人もいないからぴんとこないけど。
大工の娘がカトリックの大学に入って、外人の先生と帰国子女たちの会話を聞いて「この差はどうにもならん!」と思ったけど、内部生がいる学校ではなかったから、同じように猛勉強して入ってきた地味な友人たちとつるんでいて楽しい学生時代でした。
時代はバブル期、クラスメイトの幾人かはあっという間にきれいになっていったけど、私にはその魔法はかからず、男性におごってもらったりせず、自力で稼ぎ自分で欲しいものを手に入れる人生を過ごすことになったから。
相手の親の価値観で私の親のことを言われたらやっぱり悔しいだろうから、玉の輿なんて乗らなくてよかった(そんな話は全くなかったけど)
東京出身だけど、いかにも「東京」といったところは興味ないし、ラグジュアリーな東京はいまだに知らないし。下町が私のふるさと!
地方出身の美紀が、東京出身の華子や幸一郎を見て、東京でも地方でも限られた世界の中で完結している人たちはいるということに気づき、自分は自由だと思うところが良いな。
若いころは選択の道がたくさんあって自分の選択が正しかったのかどうか迷うけど、半世紀も生きてると選択に多少の間違いがあってもどう過ごしてきたかで、人生に対する満足度って大差なくなるような気がします。
残りの人生は健康かどうかが大きく関係しそうだから、健康第一で行きます!