日々のあれこれーのんびりくらし

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終の棲家で花遊び❀

遠藤周作「女の一生」を読んで

ふと友人とLineをしていて読みたくなったので読んでみました。

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遠藤周作女の一生

本当は1月に友人たちとGOTOキャンペーンを利用して長崎に行く予定でした。が、第三波が来てキャンセル。

図書館で借りてきました。

高校生の頃「沈黙」を読んだことがあります(夏休みの課題図書でした)。

 

 

一部・キクの場合

「浦上四番崩れ」という実話が元になっています。

<ざっくりあらすじ>

江戸時代に隠れキリシタンとして信仰を守っていた浦上の農民たちが幕末にキリシタンであることを表明した後に、幕府によって拷問、弾圧、流罪にされます。明治政府も天皇中心の神道で新国家形成を目指していたので流罪のままでしたが、欧米列強から激しい非難を受け、条約改正などの外交上の障害になると判断して、6年ぶりに農民たちは故郷に帰ります。

キクというのはキリシタンではありませんが、好きな青年がキリシタンで津和野に流罪になったため、その青年を救いたい一心で体を売ってまでお金を用意したりします。そして、最後には病気で亡くなってしまいます。

<感想>

信仰をもたない私からしたら、拷問を受けても信仰を捨てないということに「恐怖」を感じました。どうして耐えられる?信仰を捨てたら天国に行けなくなる?むしろ、肉体的な辛さから逃れるために信仰を捨ててしまっても許す神であってほしいと思う。

それと、同じ人間に対して残酷な拷問をすることも怖いです。嗜好とか快楽というような性質ならともかく、仕事だからと割り切れるのかな?(伊藤という役人はキクの体を自由にして金も巻き上げ、一方で信者たちに拷問を続け、自己嫌悪しながらもそれらの行為を続けています。そんな伊藤に神父が「あなたは救われる」と声をかけるのが偽善に思えて仕方ない。現代社会なら犯罪者ですよね。拷問そのものは仕事だから仕方ないにしても、キクに対しての行いは職権乱用ですよね。)

それと、キクの行為はいくら好きな人のためでもそこまでできるかな?という疑問も。小説だからと言ってしまえばそれまで。新潮文庫で発行されたのが1986年、その以前に書かれたとして、その時代はこの純愛が理解できる時代だったのかしら。

 

二部・サチ子の場合

 <ざっくりあらすじ>

キクの従妹のミツも夫の影響でカトリック信者になります。二部はそのミツの孫のサチ子が主人公。敬虔なカトリック信者で、幼なじみの修平を慕っています。でも、時代は太平洋戦争中、修平は「人を殺してはいけない」という信仰に反する戦争に参加することに悩みます。カトリック教会が戦争を黙認することにも反発を覚えています。(プロテスタント教会反戦運動をして逮捕されたりもしたとなっていました)

迷いながらも兵役を拒否できるわけもなく学徒出陣で学業半ばで出征し特攻隊に志願する修平。修平の無事をひたすら祈るサチ子。そして、長崎に原爆が投下されます。

長崎つながりで、長崎に宣教にきて帰国後アウシュヴィッツに送られ亡くなったコルベ神父の話も前半に並行して出てきます。

 

<感想>

修平が出征するまでの、いわゆる子供時代のサチ子と修平の純愛は微笑ましいです。私はカトリック信者ではないけど、修平が悩む様子にも共感できます。おそらく多くの若者が信仰のあるなしにかかわらず「戦争で人を殺すこと」について悩んでいたのではないかと。

でも、アウシュヴィッツでの描写は正直読むのが辛いです。うすうす知っていたことであっても、小説として読むのでも「どうして人間が人間に対してこんなことができるのか」と。アウシュヴィッツの所長は家では仕事のことを一切話さず、良き夫、良き父です。

コルベ神父の「愛がないなら愛を作らねば」の言葉や、身代わりとなって飢餓刑で処刑されること。実話ですが、もしこれが信仰のなせる業なら信仰があるってすごいことかも。

2冊を通しての感想

「感動する」「心を打たれた」とかいうレビューが多いけど、私は「怖い」という気持ちが強かったです。

信仰のために命を捨ててもいいと思うことに対して、
人間が戦場でもない場所で、憎しみや恨みもない人間を殺すことができるということに対して、
どうして?もありますが、どちらかというと「怖い」が強い。

私は神話が好きですが、はっきり言って日本神話は物語なので信仰するものではないと思っています。でも、私は神社にお参りに行くのが好きだし、神社に行くと清々しい気持ちになるし、なんとなく「八百万の神々」がいると思っています。その神様たちは色々なものや自然に宿っていて、人間が大事にしないと災害を起こすのだと思います。

お寺にお参りも行きます。仏像を見るのも好きです。いいお顔の観音様は大好き。

私は「良心」に恥じない生き方をすれば神様が怒らないのでは?くらいの信心です。はっきり言って「信仰心」は全くありません。でも、不安で心がさまよってしまうかというとそうでもない。心が弱っている人は信仰があったほうが支えになるのかな。

クリスチャンの方が遠藤周作の小説を読むとまた違う感想を抱くかもしれませんね。