日々のあれこれーのんびりくらし

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終の棲家で花遊び❀

ただ淋しいし恋しい

久しぶりのブログですが、悲しい報告です。

夫さんは闘病の末・・・

「二人して元気になろう」と約束して、夫さんは肺がん、私は乳がんの治療を続けていましたが、夫さんは6月末に逝ってしまいました。

「絶対治る」という夫さんが言うから、私も治る(日常生活に戻れる程度に)のだと全く疑っていなかったです。

私の乳がん放射線治療が終わったら、秋ごろにでも温泉旅行しようよなんて話していたくらい。

 

5月に入ってから週ごとに悪くなるような感じで、6月に初旬に入院したときには先生に「このまま辛い治療を続けても治ることはない」と言われ、それなら「夫さんが大好きな家で最期を迎えたい」と思いました。

コロナ禍で、入院したら家族でも面会できない。

夫さんは腫瘍が脳に転移したためかスマホの操作もできなくなってしまい、声を聴くこともできなくて、入院中はとにかく心配でした。洗濯物などを届けに行って看護師さんや主治医の先生に話を聞いても、「大丈夫ですよ」しか言ってくれないし。

 

在宅診療所や訪問看護ステーション、ヘルパーさんなどを準備して迎えに行ったときには、腫瘍のせいか発語もできなくなっていて、会話もできなくなっていました。

私は16日間の放射線治療のために連日通院するというハードスケジュールながらも、ヘルパーさんや訪問看護士さんに教わって、オムツ交換や清拭、痰の吸引までできるようになったのですよ。

 

主治医の先生に「あとひと月くらい」と言われていたので、そのつもりでいたのに早くその日が来てしまいました。

その日も放射線治療があったので、迷ったけれど「私が帰ってくるまで待っていてね」と言ったらちゃんと待っていてくれました。最期は二人きりで迎えました。

 

一人暮らしのはじまり

2年前に土地探しから始めて1年前に引っ越してきたばかりの新居。

夫さんはこのこだわりの家が大好きでした(家愛が強すぎて、掃除とかすごく口うるさかった(笑))。

最期は脳に腫瘍が転移したためか会話もできなくなってしまったけど、それでも家に連れて帰ってきて良かったと思います。

入院したくないと言っていたのに、嚥下ができなくなって脱水が心配で入院させてしまったから。

 

老後の二人暮らし用と思って、二人で相談を重ねて建てたこの家。

ソファーもベッドも椅子も机もなにもかも二人分。

夫さんの机に飾った写真(我が家は仏壇を作らない)に話しかけたり、テレビを見ながらも話しかけたりしています。

これからの人生を一人かと思うとやっぱり淋しいし夫さんが恋しいです。

 

スーパーに行っては闘病中に食べられるものに悩んでいたことを思い出すし、ランニングしていても、夫婦二人で散歩している人を見れば夫さんを思い出す。

庭の花を摘んできて写真の前に飾るけど、褒めてくれる人がいなくなったら庭の手入れもおざなりになりそう。

テレビを見ていても夫さんと行ったところを見ると思い出します。私たち二人であちこち行っているからもう泣けて泣けて・・・

 

本当に私と夫さんは仲良しだったのですよ。

ケンカをしたのだって、今思うと病気のせいで性格悪くなった頃くらいしか思い出せない。

8つ年上だから夫さんが先に逝く前提でこれまで老後を話していたけど、あまりにも早すぎる。

友人に感謝

夫さんの最期の頃と逝ってしまったばかりの頃は、あまり眠れなかったし、食事も喉を通りませんでした。

友人たちが「しゃおれんが笑って暮らしていたら夫さんは安心するよ」と言うけど、なかなか。

「二人して元気になろう」と約束したけど、私だけ元気になっても・・・とか弱気になっていました。

そんなころ、友人が交代で週末に遊びに来てくれて美味しいものを作ってくれたり、届けてくれたり。

昭和の少女漫画を貸してくれたり。

昭和の少女マンガなら夫さんと関係がないので泣かずに済んで、単純に子供の頃を思い出して笑うことができました。

夫さんの息子たちは、告別式の前日に預金額を聞いてきたり、形見分けと称してクローゼットの中のユニクロのフリースのような普段着まで根こそぎもっていくイナゴ兄弟だったので、私も消耗していたのですが、その愚痴を聞いてくれて本当にありがたかったです。

 

地方に住んでいる妹もこまめに連絡くれるようになって。

やっと最近眠れるし、食事もしっかり食べるようになりました。

秋には夫さんと行こうとしていたところを旅行しようと思えるほど元気になりました。

でもただ淋しいし恋しい。

写真見ながら話していて未だに泣いたりしています。

 

新盆

今年は新盆でしたが、まだお墓は準備中だし、コロナ禍なので、大阪の義父なども呼ばず(高齢で告別式も欠席)家でしんみりと迎えました。

イナゴ兄弟からは何も連絡なし。

親戚や友人からお花やお供えを頂いたので飾る。

精霊馬を初めて作った

お盆にはこちらに戻ってくるというけれど、まだ私は夢でも会っていない。

せめて夢でいいから会いたいです。

夢を見ない。

病気が進んでからのビデオレターがあるのだけど、夫さんの声を聴くと泣いてしまう。でも、声が聴きたくて見ちゃう。麻薬のようです。

元気なときのクレバーな夫さんの動画があればよかったのにと思います。

 

夫さんは善人だからすぐに生まれ変わっているはず。

生まれ変わってもまた結婚しようね、と言っていたけど、待っててくれるかしら。