日々のあれこれーのんびりくらし

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終の棲家で花遊び❀

2023.6柚木麻子「BUTTER」を読んで色々考えた

「推し武道」の映画を一緒に見に行った友人は、私にとって数少ないワーキングママ。

(友人の多くはおひとりさまなので)

彼女が妊娠中に悪阻が酷くて何も食べられなかったときに、ある美食ブログを読んで気を紛らわせていたと言っていました。そのブログは結婚詐欺と殺人の容疑で死刑が確定している木嶋佳苗のブログです。

さらに、先日「彼女をモデルにした小説がある」と教えてくれました。

それがこの「BUTTER]です。

こちらは小説で、死刑囚の自叙伝や手記ではないです。

友人曰く、モデルとなった木嶋佳苗死刑囚の了承を得てなかったのでご立腹という話も。

柚木麻子「BUTTER」

 

色々考えさせられたので、忘れないようにメモをしておきます。

ネタバレになるので、読もうと思っている方はここでやめてくださいね。

 

主な登場人物

梶井真奈子(カジマナ事件の犯人)は太っていて若くもないが、複数の男性からお金を貢がせて暮らしている。相次いで交際男性が亡くなったのだが、事件とも自殺(病死)とも取れるような亡くなり方で、状況証拠で一審では無期懲役となり、二審待ちという設定。

 

里佳(週刊誌の記者)は、激務で同僚の女性がほとんどいなくなっても、必死に仕事をしている。会社に近いマンションでは自炊などしたこともない。166cm、50㎏以下の長身スレンダーのおかげで女子高時代は「王子様」キャラ。誠という彼氏がいるが、お互い忙しくてあまり会えないが、それほど気にしていない。

 

伶子は、里佳の親友。映画会社の広報として働いていたが、妊活のために退職。料理や家事が好き。夫の亮介は妊活に消極的。

 

他にも職場の人や里佳の理解者、カジマナの家族など色々出てきます。

当たり前ですが、同じ人物でも、視点が変われば別の面を見えます。

 

料理の描写がどれも美味しそう

この小説自体にすごくよく出てくるのが、料理の描写。それもとても美味しそう。

カジマナはバターをこよなく愛していて、「美味しいバターを食べると、落ちる感じがする」と表現。「舞い上がるのではなく、落ちる。舌先から体が深く沈んでいくの」

手記を書きたいと接見を重ねていた里佳は、カジマナの感覚を理解したいと、勧められるままにエシレバターを買い、ご飯を炊いて「バター醤油ごはん」を食べ、あまりの美味しさにお代わりしてしまう。

バターってそんなに美味しいものだったっけ?

ちょうど一時期バターが品薄状態だったころの設定なので、余計バターに対して思い入れが強まっています。

そこから、里佳はカジマナに「〇〇を食べてきて、あなたの言葉で感想を聞かせて」のままに食べ歩きを重ね、カジマナの意見に影響を受け始めていきます。

 

女性の容姿はどこまで重視されるのか

実際の木嶋佳苗事件の報道を見たとき、正直私も驚きました。

若くも超美人というわけでもなく太っていても、結婚詐欺師になって多くの男性から貢がせることができることに。

私自身、人生の大半を「ぽっちゃり」で、容姿でいじめられるほどではないけど、ゆるキャラ的なポジションで、モテキャラになった経験はない。

まあ、亡くなった夫さんは私のことを大好きだったのだから、別にモテなくても「たった一人」に巡り合えればそれでいいんだけど、そんな私は容姿の点では現状認識して分をわきまえていたと思います。

だから、木嶋佳苗報道に、容姿以外の何かすごい魅力があるのではと思ってしまいました。

前のクズ夫のせいで、世の男性の多くは、若くてきれいな女性が好きという偏見が私にはあるから。

とはいっても、週刊誌などで木嶋佳苗さんの手記などを読んだりはしていないので、どこまで本人と違うのかはよく分かりません。

あくまでも、別物として読みました。

 

小説の中で、ありのままの自分を受け入れ、自分とつきあえた男性たちこそ幸せだったと言うカジマナに、里佳は圧倒され、ハマっていきます。

「自分のしたいことをする」と自分を全肯定できるのはすごい。

連日、美食過食では体力もないと大変だと里佳は気づきます。カジマナにつきあって、美食を重ねていた男性たちもすごく体力があったんだと。もしかしたら、頼りがいのある男性と思われたくて、無理やりつきあっていたのかも。

 

里佳はカジマナの言うままに食べ歩き、また自分でも食事をすることに目覚め、カジマナのように「食べたい時に食べたいものを食べる」生活をしていたら、54kgまで太ってしまう。(166cmで54kgなら全然痩せていると思うけど)

周りからも太ったと言われ、彼氏に「努力が足りないと思われるから、やせたほうがいいよ」とLINEされたりする。

出版社で休みなく働いていて、女性はみなやめてしまうほどの激務の中で、容姿を磨く努力もしないといけないなんて、どれだけ大変なんだ。

最初からそのステージに乗らなければすごく楽だけど、一度でもステージ飲上でちやほやされたら下りたくないのかな。

男性は女性に助けてもらわないと生きていけない生き物なのか

被害者たちは一人暮らしの男性で、カジマナの食べる料理に満足し、自分に尽くしてくれる女性として真剣に結婚を考えていた。

カジマナも男性に尽くすことは嫌ではない。

しかし、一方で、付き合っていた男性で殺されなかった男性が証言するには、料理はうまいけど、容姿は最低とディスっている。でも、二人で食べる食事は楽しかったと。

 

里佳の両親は離婚していて、大学教授だった父は離婚後自暴自棄な生活になり病死してしまいます。

母親はろくに養育費もくれない夫を忘れて、必死に働いて里佳を育てているのに、「親切な」人たちが「前夫さんがグダグダな生活していて可哀そうだから戻ってあげたら」などとご注進してくれたというシーンが出てくる。

カジマナの被害者たちも、恋愛経験の乏しい家庭料理に飢えていた淋しい男たちという括られ方をしている。

でも、里佳は途中から気づく。

野菜ジュースと栄養ドリンク程度の食事しかしていなかった自分だが、カジマナに言われるままに炊飯器で米を炊いて、主体的に食事をするうちに、

「自暴自棄な生活をしている男たちは、『助けてくれ』と素直に言えばいいのに、それを言わず、自暴自棄に暮らして周りに心配してもらいたいだけでは」

「大人の人間だから、自分で自分の世話をすることくらいできるのに、なぜ誰かに世話をしてもらうことを待つのだろう」

(正確な引用ではありません。こんなことを言っていたなと)

里佳は、父との約束をすっぽかしたら、父が亡くなっていたということが分かってそれが心の重しとなっているのですが、

最後は「別に自分があの日行かなかったから死んでしまったのではない」と思えるようになります。

 

友情

里佳はカジマナとの接見を重ねていくうちにどんどんハマってしまいます。

そんな里佳をとられたようで心配になるのが親友の伶子。

伶子は妊活を巡って夫とうまくいかなくなっていることもあり、暴走を始めます。

なんだろう、ここまで篤い友情ってどうなんだろう?

後半の伶子の行動はちょっと怖かったです。

ただ、一生懸命家事をして料理をしても、カジマナは受け入れられたのに、少女のような可憐な容姿の伶子が嫌われるというのは、伶子としては自信喪失ですよね。

コンプレックスのある男性にとって、美女より美女でない方が警戒心を抱かなくていいのかも。(警戒心を抱かないということは、甘く見ているということでもあるんですよね)

 

幸せな老後ってなんだろう

よく妻に先立たれた男は早死にするとか言いますよね。

逆に、妻はストレスフリーになって長生きするとか。

夫さんと気楽に楽しく暮らしていた私は、今はまだ夫さんがいないことに慣れなくてとても辛い。一人だから淋しいんじゃなくて、夫さんがいないから淋しい。

だけど、経済的にも困っていないし、自分一人くらいの身の回りのことならたいていはできる。

今後、年をとって判断力が衰えたり、PCやネットが使えなくなったらどうしようと思いますが、まだ先のことだと思いたい。

だからあえてパートナーを見つけようとは思わないんです。

もちろん、パートナーに先立たれて、すぐに新しいパートナーを見つけるということに対して否定はしません。

人を好きになれるって、人の良いところを見つけられるということだから、人間性が豊かですよね。

好きな人がいるだけで、元気になったりしそうだし。

 

色々考えさせられたけど、答えは見つからない。

とりとめない感想になりましたが、事件とは別物だと思って読んでみると面白いですよ。