日々のあれこれーのんびりくらし

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終の棲家で花遊び❀

岩井忠正・岩井忠熊著「特攻」を読んで考えたこと

友人に薦められて読んだ本です。
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忠正さん、忠熊さん兄弟は大学在学中に学徒動員により海軍に入り、
「回天」「伏竜」「震洋」という自殺兵器の訓練を受け
出撃する前に終戦を迎えたために生還できた方たちです。
もし、あのまま戦争が続いていたらお二人がこうして本を残すこともできなかったと思います。
お二人が戦争拒否の信念をもって戦後を生き平和運動に賛同しながらも、
特攻体験をあえて社会にアピールするようなことはしてこなかったけれど、
この本を出すに至った動機が描かれていました。
それは当時(この本の初版は2002年7月)、小林よしのりさんの「新ゴーマニズム宣言」で
「個を超える勇気と誇り」で特攻隊を美化し、そのマンガが広く青年層に読まれていたり、
「新しい歴史教科書」が特攻隊員の遺書を掲載して
特攻容認の記述を行ったことを黙認できなかったからとあります。
 
この本は、太平洋戦争を日本の正義の戦いだと真剣に思っている人がいたらぜひ読んでほしい。
「侵略の定義」について分からないセンセーたちにはぜひとも読んでもらいたい。
(本文中には、人間の命を命とも思わず、自分の非を認めず、保身を図る上官たちが出てくる)
そうでなくても、戦争は大義はともかく始まってしまったら実情はこんなものだということを知ってほしい。
 
今回は読後にぐるぐる色々な考えが浮かんだので、久しぶりにしゃおれん節満載でいこうと思います。
なので、面倒くさい方はここで切り上げてください~(笑)
 
 
 
 
飛行機で突っ込む神風特攻隊や、人間魚雷「回天」については少しは知っていましたが、
「伏竜」については今回初めて知りました。
 
他の特攻は何かの乗り物に乗って体当たりするものですが、
伏竜はなんと潜水服を着て敵が上陸するあたりの海中で待ちぶせして、
竹竿の先に着けた小型の機雷で水中から攻撃するというもの。
当然敵船だけでなく攻撃者も亡くなります。
鉄の重い潜水服を着て仰向けにひっくり返ったら自力では起き上がれないほどで、
当然海上を移動する敵船など見ることもできず、
なおかつ普通の酸素ボンベではなく、
苛性ソーダのボンベをしょって吐く息をその中に通して
炭酸ガスを苛性ソーダに吸収させながら同じ酸素を繰り返し呼吸するとかで、
口で吐くと鼻で吸うを間違えると炭酸ガス中毒になったり、
粗雑なボンベの不具合で訓練中に亡くなった方も多かったとのことです。
忠正さんも訓練中に事故にあったりと、読めば読むほど実現不可能な作戦に思えます。
お二人も本文中で語っていますが、
物がない中で「兵隊の命だけならあるからともかくやらせてみよう」的な机上の空論的な
稚拙な作戦が大真面目に遂行されていたと。
当時いかに人の命が軽いものと考えられていたかと思うと戦争に正義や大義があるとは思えないです。
 
 
 
忠正さんの言葉の最後の文章を長く引用します。
『 私自身の場合を考えてみる。すでに何度か述べたように、私は「満州事変」から始まるこの戦争は日本の中国その他のアジアの国々に対する侵略戦争であって日本には大義はない、米英に対する戦争には敗北しかない、自分たちの未来には死しかないという、ないものづくしの極端に絶望的な展望を持っていた。にもかかわらず、それに抵抗するなどということには、ついぞ思いつきもしなかった。徴兵延期が停止され、軍に召集されることは嫌だけど避けられぬ運命で、従うほかにない道筋と受け取っていた。自分はこんなことは嫌だし、ほかの連中も大部分は嫌だと思ってるだろうが、やはりみんな「大勢」には従おうとしている。自分一人だけが大勢に背いても、それを止めることはできまい。やらざるを得ない。やろうー。
 抵抗不可能の大勢だから従うー理屈に合っている。それ以外にどんなことが可能だっただろうか?だが、一見理屈に合っているように見えるこの立場には根本的な矛盾があることに、当時は気が付かなかった。それはそういう大勢に従うことによって、自分がその大勢を作る一人になってしまったことである。そして自分だけでなく、同じような他の人たちをその大勢に巻き込む手伝いをしてしまったということである。気に入らぬ大勢を自分で支えておきながら、その大勢を理由にこれに従うーここには勇気の欠如と自己欺瞞があったと思う。
 たしかにあの戦争は私が作り出したものではない。だから私には「戦争犯罪」はないと思う。戦争犯罪人は決定を下した天皇をはじめとする当時の権力者たちである。だが私にもやはり僅かなりの「戦争責任」はあったと思わざるを得ないのだ。私たちに物心がついたころにはすでに抵抗不可能な大勢が出来上がっていた。だからそういう大勢を作った責任はないはずだ。あの大勢に従ってしまったことに現実的な責任があるとまでは思えない。だが右に述べたような意味では、たしかに責任があったと思わざるとえないのだ。その責任は道義的なものである。この道義的責任は私に義務を課している。現在と将来に対してである。それはそういう大勢を作ろうとする一切の試みに対して、決して傍観者にはならないという義務である』
 
 
忠熊さんの終章からも一部引用します。
『私たちは敗勢がつづく時期の海軍の特攻隊員であったが、進発にいたらなかった。だから直接に人を殺傷するという経験をしないですんだ。そういう予測よりも自分自身の死の運命に直面していたといえる。しかし客観的にいえば中国はじめアジアの人民や米軍人たちの殺戮に加担していたといわざるをえない。そのような事実を直視しないかぎり、私たちの戦死者に対する単なる「慰霊」は、いつまでも日本軍から殺された側の人たちからの抗議をまぬかれないだろう。単に「国のため」だったではすまない。いかなる「国」であったかが問われざるをえないのである。』
『すぐれた知性をもった若者たちをここまで追いやったものが「祖国」「天皇制」「教育」「私的な潔癖」だったことはもはや明らかだろう。そして戦後五七年たったいま、私たちがあの当時から何も「進歩」していなかったとするならば、それこそ墓場の彼らに合わせる顔がないではないか。
 「潔癖」といわれて私たちが思い当たることがある。「卑怯者になりたくない、男らしく生きたい」という想念があの当時の私たちを支配していたことを否定できない。戦後数十年たってフェミニズムジェンダーが提起されて、私たちも大いにそこから学ぶところがあった。逆説的だが私たちも「男として」つくられ、成長してきたのである。それが結局のところ「特攻」をも辞さないところまで追い込まれたといってよいだろう』
 
 
 
 
現在を生きる私たちは「進歩」した新しい日本を作らなくてはいけないのに、なぜ今逆行しようとしているのか。
ここからは私見なので、忠正さん、忠熊さんの言いたかったことからずれてしまっているかもしれませんが、
そこはご了承ください。
あくまでも個人的な考えです。
 
 
 
今の日本の憲法国民主権で「戦争の放棄」を明記している。
そのおかげで終戦後、日本が戦争によって他国の人を殺していないということは素晴らしいことだと思う。
友人から聞いた話では、アフガンなどの紛争地域で医療活動をしようとしても
アメリカ人医師だと受け入れを拒否されたりしているとか。
日本という国が平和憲法の国だから受け入れられるということもあると。
 それなのに、
自衛隊を軍隊にして、戦争に参加できるように憲法を改正しようという動きがありますね。
 
今は、まずその前の段階の憲法改正の手続きを簡単にできるようにしようということのようですが・・・
学校でもあまり教えられないけど、憲法を守る義務があるのは
「 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。 (第99条)」であって、
憲法は国民を制限するものではないということをどれだけの人が分かってるかな?
つまり、憲法は権力者になる人たちが暴走しないように制限しているものなのです。
なのに、その人たちが憲法を変えやすくしているって・・・・なにごとよ~?!
 
 もちろん、国民にもしなければならないことはあります。
「 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。(第12条)」
国民は自由や人権を保持するために努力しなければならないのです。
 
だけど、
政治家に期待しないからと政治に関心をもたなかったり、
選挙を棄権するのをリベラルであるかのように思っている人がいるけれど、それは怠慢です。
そんなことをしているうちに忠正さんがいう「大勢」ができあがってしまうのです。
そして、誰しも持っている国を愛する気持ちや
卑怯者に思われたくないという自尊心を悪用されてしまいそうで心配です。
 
 
 
歴史にもしもはないけど考える。
太平洋戦争の戦前戦中に東南アジアや半島や大陸に進出した日本企業、
戦争によって利益を得た企業が全くいなかったとしたら、
使役や搾取に反発したために「反日」の名のもとに虐殺された人たちがいなかったとしたら、
大東亜共栄圏構想が後付だったにしてもその理想は評価できますが・・・
「日本は良かった」という意見もあるにはあるけど、
総力戦となる近代戦争においては、戦争になったら国民みんながお互い被害者でしょ。
 
それなら、どうして戦争になるのか?
私の考えでは、おいしい思いをしていた誰かがいたとしか思えない。
明治以後の近代化において、外国の植民地にされちゃうぞ!と国民を脅して
ひたすら働かせて息子を戦争に差し出させて、不作の年には娘を身売りさせて、
欧米諸国のように植民地を持つような外面を支えさせて、
それでいながら王侯貴族のように桁違いに良い暮らしをしていた人たちがいたりして。
まさか「自分たちの財産を守るために戦ってくれ」とは言えないから
天皇」のお名前を出してきたのではないかと思ったりして。
教育の力で天皇の権威には疑問を起こさせないようにという用意周到で。
 
財界の人たちが政治家と癒着して都合のよい政治をさせたり、
スポンサーとなってマスコミを操ってる現在の状況を見ると
今も昔もたいして違いなんてないんじゃないかと思ってしまう。
格差社会っていうけど、昔はもっとすごかったし。
 
 
 
現代において、
私みたいに「戦争反対」とか言ってると他の国にやっつけられちゃうよ~と言う人もいるでしょう。
日本に米軍がいたって軍拡してる国は近くにある。(しかも行動が訳わかんないし)
だから抑止力にはならないんじゃないかと。
だいたい、資源のない日本に侵略してくる国ってあるかな?
実際、いくら最新鋭の軍備を備えたって、
長期戦になったら国力も人口も劣る日本が他の国に勝てる見込みがない。
あんなに「大和魂」を注ぎ込まれた昔の日本の兵隊さんが勝てなかったのに、
今の日本人が勝てるわけない。
 
じゃあ、どうしたらいいか?
無理を承知で政治家の皆さんにお願いしますよ。
どうか、武力に訴えることなく他国と協力して経済的な不安を取り除き、
今の日本の繁栄を享受させ続けてください。
領土問題って結局は経済的な要素が大きいでしょ?
日本人の命を戦争で失うことなく、他国の人の命を武力で奪うことのないよう。
実際に戦場に立つことのない人たちの面子のために戦争するなんて言わないでください。 
 国民も主権を任されている以上、政治を政治家の皆さんに放り投げないで
もっと努力しましょうね。
 
ここまでたどり着いてくださった方、本当にありがとうございます。
日頃「政治と宗教の話はしないのが大人のマナー」というのを心得ているので
ここまで書いてすっきりしました~。
本当は色々議論したいのは山々なんですけど。