日々のあれこれーのんびりくらし

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終の棲家で花遊び❀

御手洗瑞子「ブータン、これでいいのだ」を読んで

最近読んだ本で面白かった本があったので紹介します。「日経WOMAN」の本の特集で知って図書館から借りた本です。
 
御手洗瑞子「ブータン、これでいいのだ」
幸せの国と言われるブータンに、首相フェローとして1年間滞在し、現地に住んだ人の目で彼の国を語った本です。日本では「夢の国」のように思われているけれど、「現実の課題がある、現実の国」だと著者は言います。言われてみれば当然なのですが・・・
 
今まで、読んだ本やTVでは「国民が幸せを感じる国」としての面ばかり強調されていたので、色々な日本との違いがあげられ、興味深く読んでいました。
 
手帳を持たないため約束は覚えられる範囲(2日くらい)でしかたてられない。会議は事前に日時を決められなくてみんながいたらその時開くとか。
「人間ができることは限りがある」と思っているからか、目標を達成できなくてもしかたない、失敗をしてもしかたない、むしろ「許す」のが徳。そのため、医療現場などで簡単に諦めることがあるとか。(これは死に対する価値観の差もあるが)
インドからの助成金が歳入の2割を占めている。中国とインドという二大大国に挟まれて、文化的に近い国に援助されるといずれ併合されるかもしれない不安からインドの援助を受けているとのこと。しかし、人口10億のインドにも貧困はあるのに、70万人のブータンを助ける余裕がインドにはあるのも不思議・・・中国との緩衝地域としての役割を果たしているからかな。
 
そして、最大の違いとしては「幸せ」に対する考え方がやはり日本人と違うようです。
『輪廻転生を信じ、いつもうっすらと来世を意識し、老後には毎日来世のために祈る。ブータンの人にとって、「今の人生」のとらえ方が、私たち日本人とはちがうのだろうなと感じます。「現世がすべて」と考えていたら、人生が思い通りにいかない時、もう取り返しがつかない気がして、つらくなる。反対に、「現世がすべてではない」と信じれば、多少うまくいかないこと、思い通りにいかないことがあっても、「うーん、まあいっか。次の人生がうまくいくといいな」と割り切れる』と。
 
日本人が「自分の人生」について祈ることがブータンの人にとっては驚きのようです。
(受験の絵馬の話を知人にしたら驚かれたとありました)
「幸せかどうか」と考えるとき、「自分自身」が幸せかどうかではなく、自分の大切にする人たちの幸せも含めて自分の幸せと捉える「幸せゾーン」が日本人よりも広いのではと著者は考えています。
 
その著者に上司である長官が答えていうには『幸せを願うのであったら、自分の幸せでなく、周囲の人の幸せを願わなくてはいけない。(中略)人のためになにか役に立つことをして、相手が幸せになるのを見ると、自分にとても大きな満足感がかえってくるんだよ。それは、自分のためになにかしたときより、ずっと大きな満足感なんだ。幸せになりたかったら、まず、周りの人の幸せを願って、そのために何かすることが大切なんだ。自分の幸せを探し出したら、幸せは見つからないんだよ。ブータン人は、それをみんなよくわかっている』
 
課題も山積みの格差も貧困も多いブータンで、「できることは限られているからできることをすればいい」って開き直るというか受け入れる。
それも、ちょっと問題だけど、将来起こるかもしれない問題について若いうちから不安になって準備に追われて他人と比べて不幸になる日本。
(だけど、家族や友人同士で助け合うブータンと違って、「自己責任」という考えが広まりつつある日本では自分で自分を守らなくてはいけないから仕方ないのかな・・・)
 
幸せについての考えは人それぞれだけど、この本は外国生活の話として読むよりも、幸せについて考えたりしてとても良かったです。
 
今、私は恵まれていて不安を感じずに暮らしていける。まあ、多少小さなストレスなんかはあるけど、穏やかな毎日が続くというのが幸せだと思える。
(あんな古い団地に住んでても?とか言わないで。古いけど、結構快適なのよ)
ついつい自分の幸せが続くのを祈ってしまうけれど、もっと周りの人の幸せについても思いをはせなければ。