日々のあれこれーのんびりくらし

日々のあれこれーのんびりくらし

終の棲家で花遊び❀

Yahooブログから引っ越ししてきました

Yahoo!ブログの終了に伴いFC2ブログに移ってみましたが、
記事の作成が大変なので、こちらに流れてきました。

 

2019年3月から7月までFC2ブログで書いた記事もだんだんとこちらに移す予定です。

色々な先人たちの知恵を見ながらカスタマイズしようと思い悪戦苦闘しています。

「もくじ」のカスタマイズに成功し,ページトップに戻るボタンもつけることができました♪ 

以前に書いた記事も見直していこうと思いますが、リライトの日時を表示する方法を先人の知恵を見て試しているのですがなかなかうまくいきません。
それにしても、色々な先人たちがコピペOKで教えてくださるので、超初心者としては本当に助かります。

 

 これからよろしくお願いします。

岸本葉子「ちょっと早めの老い支度」を読んで

私はこの著者のエッセイが好きでよく読んでいるのですが、
ちょうど50歳を迎えるころに書かれた本だったのでいろいろと参考になりました。

若いころに「年をとったら緑に癒されるだろう」と思って購入した庭付きの1階のマンション。
年をとったら庭の手入れが苦痛になり、業者に依頼することに・・・
といったように、若いころに思っていた自分の老後のイメージといざ近づいている自分の老後は違う。

著者の方は父親を介護して送っているのですが(「週末介護」の本はとても興味深く読みました)、
老いというものがどんなものかも体感して、
むしろわからなくて不安だった若いころよりもわかるぶん対処の方法を見つけられるような・・というところに共感。

女性ホルモンが実は女性の体を守っているというところは新鮮でした。
閉経後は骨粗鬆症のリスクが高まるくらいで、終わったほうがいろいろ楽そうだなー、なんて思っていましたが、
女性ホルモンが減ると、高脂血症うつ病認知症のリスクも高まるとか。
女性ホルモンが脳も守っていたなんてびっくり(若い女性でも、月経不順の人は集中力や記憶力が落ちているという研究成果があり)。
まだ、更年期障害の自覚がないから、ホルモン療法は考えていないけれど、
本の中で女医さんが大豆のイソフラボンも少ないけど一助にはなると言っていたので、
これまで通り納豆毎日食べ続けようっと。

「旧交を温める」とか「地域デビュー」するといった章はなるほどと思いました。
その中の一文がまさに。
「制服でそこにいたときは誰もが、はた目に見えるほど天真爛漫ではなかっただろう。調子を合わせておしゃべりしつつ、それぞれが別のことを考え、胸が晴れずにいたかもしれない。 そうした苦さを交え、お汁粉をすすっていた時間そのものが35年をも過ぎるといとおしい。」
進学や就職で違った道を選んだ旧友とも年を取ってからなら「青春の悩みの残滓」が溶けて会えるようになったとも。

私も中学時代の友人とも細々とつながっているが(今はSNSがあるから会えなくても近況は伝わる)、
やっぱり会って話せるととても楽しいし。
利害関係がない人間関係はこれからとても大事な気がします。

賃貸物件に住んでいると、町内会にも加入しないし、子供がいないから近所に知り合いもいない。
次に引っ越しをしたら、地域のボランティアから始めてみようかな。


著者の言うには、
今している支度についても、想像力には限界があるから及ばないかもしれないけれど、
「あの時は精一杯した」とおもえることが大事だと。
充足感の積み重ねが老後を支える備えになるだろうと。
ときめきが大事とも書いてあったっけ。
最後は「女子力」とも(笑)

私は、子供もいないし、師匠(夫さん)は8つも年上だし、もしかしたら最後は長い間一人で暮らすことになるのではと不安もあるけど、
師匠のお父さんが87歳で一人暮らしをしている。
(持病で通院はしているし、家事の介助のヘルパーさんも来てもらっている)
私もあと40年くらいなんとかなっちゃうんじゃないかしら。
できることからはじめていこうと思います。
もう50歳ではなく、まだ50歳。
「年甲斐もなく」とかはこれからの女性にはいらないんじゃないかなーと。

海音寺潮五郎「海と風と虹と」「平将門」を読んで

少し前に、「日本の古代道路」という本を読んでいたら、平安時代でも律令時代の道路は案外と使えるもので、
平将門関八州国府を短期間で制圧できたのは古代道路を利用したからという主旨の文章を見つけました。
 
でも、当時の馬って今の時代劇で見るようなサラブレッドではなくて、小さいんですよね?
騎馬といってもそんなに速く移動できるのかな、という疑問が。
 
でも、そこでちゃんと調べるのではなく、つい歴史小説に逃げてしまうのが私の甘いところ(笑)
 
大河ドラマ「雲と風と虹と」の原作となった小説を続けて読み切りました。
ちなみにこの大河ドラマが放送された当時、私はけっこう小さくて見ておりません。
ネタバレ注意です。
 
 

海音寺潮五郎風と雲と虹と(原作)」とあった「海と風と虹と」

平将門がどう出てくるのかと思っていたら、こちらの主役は藤原純友でした。
朱雀帝の御世、朝廷は腐り切っていて、売官も多いし賄賂や付け届けをしないと任官できない。
公領では良民を酷使しすぎて逃げ出すものも多く、
地方豪族たちはせっかく自らが開墾した荘も有力な貴族へ寄進することを要求される。
 
 
そんな朝廷に見切りをつけて世の中をひっくり返そうと考えているのが純友。
盗賊や海賊たちともつきあい、時に金銀も使って謀略をめぐらして。
自分が海賊たちと西から京に攻め入るから、東国で将門が反乱を起こさないかとたきつける。
海賊の追捕使を補佐する伊予掾に任命されながら、実は本人が海賊の首領になって襲ってきても、
朝廷は祈祷で退散させようくらいしか対策たてられないというように描かれています。
 
将門は京都で官位を得たくて運動しているもののイマイチうまくいかない。
描かれ方がスマートな純友と、力だけが自慢のまじめな中学生のような将門。
東武者を単純に描き過ぎなんじゃないかとひがみたくなる。
 
平将門の乱のほうは、なんとなく経緯を知っていたけど、純友の乱のほうはあまり知らなかったので、
(実際史料もあまりない様子)
この小説のようなこともあったかもしれないと面白く読みました。
 
色々と策をめぐらし、英雄的な気風の良さと気前の良さと配下を大事にするような純友でありながら、
自らの策にハマり、たった一度の判断ミスで(無茶をせず、慎重になったことで)
その後、勢いが減じて最後は破れてしまう。
 
純友の乱が鎮圧されることは知っていたけど、こんな風に描かれるんだなーと。
人間って、どこでどう風向きが変わるか分からないなと思ったものでした。
 
 

海音寺潮五郎平将門

イメージ 2
千葉市図書館が昭和53年に購入したものらしく、紙が茶色になっていて、さらに本の後ろに貸し出し用の紙が貼ってるのに、(「下記の日までに返してください」という日付印を押すアレ。)日付印が一つも押されていないのに驚き。もしかしたら、もうじき廃棄になってしまうところだったのかも。
昔の文庫本はとにかく、字が小さくて読みづらかったーーー。
 
さて、こちらは、純友のほうと違って読んでいてイライラすること多数。
 
とにかく、将門が言葉も足らないし、変に生真面目で、損な役回りばかり。付け届けが当たり前の京で、身分が下位の者が清く生きていても権勢家には通じない。地元では、父が早くに亡くなって当主になって、伯父たちに所領を横領されても、結局どうにもできず。好きな女性はいつも従兄に取られる。
 
 
所領問題がベースになっていた一族同士のもめごとから、将門の婚姻がきっかけで戦闘に入っていくのですが、
将門の正妻の良子が出来た嫁なのに対し、伯父たちの嫁(源家の女性たち)が相当嫌な人たちで、
伯父たちが若い嫁のいいなりで同族同士の戦いに入っていくのがマンガ的。
 
将門はとにかく戦上手だけど、そもそも、仕掛けられた戦いに勝っているだけで、純友と違って特に強い意志があって戦争を起こしているわけではない。
コロコロ意見が変わる朝廷の判断によって、朝敵になったり、逆に朝命を帯びたり。
自分でも「それは悪い」と思っていても、注意されると逆に意固地になって「男の意地」とやらで押し通したり、
変な見栄や、非情になりきれないところとか、全く英雄的でない。
新皇になったのもまわりに押し切られてだし、興世王のいうままになるのが嫌でも議論が面倒で結局そのままにしておいたり。
 
あちらの本では、純友が色々運動していたけど、将門は純友と共謀などせず、ただただ巻き込まれているような感じ。
 
巻き込まれているといえば、仇の平貞盛も親を将門に殺されたのに、本来享楽的で京暮しの楽しさを失いたくないから将門と和睦しようとしていたのに、結局巻き込まれ、戦にやぶれ、隠れ逃げ回っていたのに、最後は藤原秀郷とともに行動したため助かる。誠実さは全くないのに、女性にもてるし。どういうこと?
 
坂東の平氏が弱体化して、結局は藤原秀郷の漁夫の利勝ちのよう。
 
あれ?こんな風に描かれるんだ。
 
最後の将門の義弟公雅と貞盛・秀郷のやりとりがほっとする。そして、雷が落ちるところに溜飲が下がります。
 
この小説の感想。
若くて美しいだけで女性を選ぶのはやめましょう(笑)男性の作家が書いたからなのか、若い後妻の言うことにいら立ちながらも、後妻のいいなりになるという姿は女性の読者には理解に苦しむ。嫁の実家に肩入れして、同族同士で戦う理由が嫁に焚きつけられてなんて不思議すぎる。
 
自分で「この方法は選んではいけない」と思ったら、潔く認めてやめる。義理だの、男気だの、へんな感情で自分の首をしめるのは愚の骨頂。
 
死んでしまったら負け。何度負けても運がよければ最後は勝つ。(漢楚の戦いもそうですよね)
どちらも流されているだけなのに、将門と貞盛の勝敗を分けたのは、運なのかも、と思ったのでした。
 
 
大河ドラマでは、将門が加藤剛、純友が緒形拳というから、きっとパリッと素敵な性格に描かれていそう。
運が悪いと思わせるより、悲劇的な最期と思わせるような。
再放送してくれないかしら。加藤剛さんの将門なら見たいなー。
 
今回もまた長々とした文章におつきあいくださってありがとうございました。
今年も色々と書き連ねましたが、お読みいただきありがとうございます。
来年もまたとりとめなく拙い文章ではありますが、読んでいただけたら嬉しいです。
 
 
 

平成最後の天皇誕生日に思う

今上陛下の誕生日の会見をワイドショーで見て、
その後、宮内庁HPでお言葉の全文を読んで、
本当に今上陛下は象徴天皇としてのご自身の任務を全うされてらして、
それでいながら皇后さまとも仲が良くてご家族を愛しているという人間的な部分もお見せになって
なんだかとってもしみじみと感動してしまいました。
 
災害の時には、被災された方に膝をついて目線を合わせてお話しになったり、
戦争の慰霊に訪れたり。
平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに心から安堵しているとおっしゃっていました。
沖縄にも心を寄せられていましたよね。
 
陛下が平和を愛し、護憲のお立場なのに、
どうして保守のはずの与党が改憲や軍隊を認め戦争に巻き込まれそうなような法改正をしているのかなー。
右翼のみなさんは陛下のお言葉は大事じゃないのーー?
 
 
今、日本古代史を勉強しなおしていると、
「日本書記」も「古事記」も後代の創作で、古代の天皇の中には実在が危ぶまれる天皇も多いし、
万世一系とはいいがたいような気もするけれど、それはそれ。
 
天皇制自体にモノ申す人々も多いことも知っていますが、それも置いておいて。
 
私は今上陛下が日本国の天皇でいらして良かったと心から思うのです。
 
来年5月からは皇太子殿下が新天皇として即位されるけれど、
殿下も陛下のように素晴らしい天皇でいらしてくれるといいなあと思います。
 
次の世も平和であってほしいです。
 
 

時給アップを喜べないなんて

今日は、副業の一つである事務のパートについての話題。
 
職場は、ほぼ扶養の範囲内で働く主婦ばかり。
フルタイムではなく、若干時短で勤務日数も少ない。
その分人数だけは多い。ワークシェアっていうもの(笑)?
 
主婦だから、子供の病気や介護で突発休もあるけど、
「おたがいさまよー」でフォローしあえるいい雰囲気の職場。
時給が安いけど、主婦が働き続けるには融通が利くことがやっぱり大事。
私は大阪のお義父さんの介護のために2週間連休することもできた(周りのフォローのおかげ)。
社員さんたちはみんな優しいし。
時給は安いけど、できればこの職場はできるだけ続けたいと思う。
 
 
そんな中、来年度から時給が30円UPするらしい。パチパチパチパチ♪
 
しかし、パート仲間は喜んでいる人ばかりとは限らない。
 
パート仲間たちは、社員さんたちの3/4未満の労働時間(だけど、私以外は週20時間を少しだけ超えている)。
それが、たった時給30円UPするだけで、協会けんぽに本人加入しなければいけなくなってしまったのです。
所得税についてはギリギリ大丈夫)
社会保険の本人負担が時給アップ分よりもはるかに大きい。
 
それよりも、
社会保険に本人加入となると、だんなさんの扶養からはずれるし、
会社によっては扶養の手当もけずられてしまうことも。
協会けんぽより、だんなさんの健保組合のほうが福利厚生が良いこともあるしねぇ。
 
私は、マイナンバー導入のときに勤務日数を減らしたので
(実家から給与をもらって社保加入してるので、色々紐づいて副業がバレたらまずいかなと)、
今回の時給アップは素直に嬉しい。
 
このままでは世帯収入が減ってしまうので、
勤務日数か勤務時間を減らすか、
いっそもっと稼げる職場に転職?なんてことがもっぱらの話題。
 
時給アップを素直に喜べないなんてなんかおかしくない?
雇用保険もあるし、社会保険に本人加入したほうが将来の年金のためにもいいとはみんなわかってるんですよ。
 
でも、転職するのもなかなか・・・
自分以外の要素で主婦が仕事をするのを難しくしているように感じます。
 
 
千葉は交通の便がとても悪いところが多くて家族の送迎が必要だし、
介護問題もそうだし、聞くところによるとPTAの役員になったらものすごく拘束されるとか。
 
 
私が正社員だったのははるか昔だったけど、あんなに働けたのは子供がいなかったし、
親が元気だったから。
 
 
 
内閣官房のサイトから「すべての女性が輝く社会づくり本部 」の今年の議事要旨を読んでみたけど、
「女性活躍」の政策と総理がいう成果は、身近な主婦の話からは実感できないなあ。
まあ、これも景気がいいという話が実感できないことと同じかな。
一部の人だけでなく、そのうち一般に波及することを期待しますよ。
 
 
来年度についてどうしたいかご家族と相談してくださいと投げられていて、
私はできれば今のメンバーと仕事を続けたいから、どうかみんなやめないでー。
 
 
 
 
 

石澤一由「古代天皇の実年代を探る」

面白い本を見つけました!
 
古代の天皇崩御時の年齢や治世年数が信じられないくらい長いことから、
初代神武天皇の即位を辛酉革命説に従って無理に紀元前660年にしたために
他の天皇の年齢や治世年を引き延ばしたとか、架空の天皇を作り出したというのが今ではほぼ定説ですよね。
 
でも、この本はすごく大胆!
魏志倭人伝や日本書記、古事記などから筆者は古代暦と古代治世年という仮説をたてています。
 
ざっくりまとめると、
暦が伝わるまでは、古代人たちは太陽の動きで1年を数えていて、現在の暦と違う年のとらえ方をしていたと。
 
古代暦は「太陽が真東から昇る日を1年の始まりとする」春分と始まる1年と秋分から始まる1年の合計2年が、
現在の1年にあたるものとし、
古代暦も1年が12か月あったとしているが月の満ち欠けの約15日を1か月としていたのではないかと。
 
古代治世年は、古代暦の1年の中間の夏至冬至には日の出の方角が転回する日なので、古い年から新しい年へとかわる日とも考えられるため、天皇の治世については、現在の1年を4年と考える古代治世年が使われていたと。
 
天皇の年齢を数えるに、即位前は古代暦を使い即位してからは古代治世年を使って数えていたとします。
 
この考え方によれば120歳で亡くなったとされる崇神天皇も、即位前古代暦で52歳(実年齢26歳)、治世年数68年は実際は17年となり、43歳で崩御、非常識な年齢ではなくなります。
 
 
このようにそれぞれの天皇の実年齢や治世年数を検証しなおし、親子関係が疑わしいものは兄弟ではないかとか。開化天皇孝元天皇は兄弟では?とか。(そもそも、初代から12代までがきれいに父子で継承しているのも疑わしい。このあたりも架空説が出るもとになるけど)
 
 
治世年数も古代は長いと思われがちですが、平均してみれば他の時代と大差ない。(院政時代は例外として)
 
そして、年代のはっきりしている推古天皇崩御から順に遡っていくと、神武天皇の即位は紀元154年になりました。
 
 
ざっくり書いているのでマユツバに思われますが、こちらの本をお読みいただければなるほどーーと思えます。
根拠もあげて丁寧に説明してあります。
 
 
でも、私が一番読んでいただきたいのは第四章から!
 
これらの天皇の実年代を検証しなおしたところで、記・紀の記述と現時点で分かっている歴史上の事柄とを考察し、大胆な物語が展開されていて読んでいてすごく面白かったです。
 
ざっくり書くと・・・
 
・国生み神話でイザナギイザナミの命が生んだ島は、佐渡大倭豊秋津島以外は淡路島以西の島々で中国地方が入っていない。そして、名前に「天の○○」とつく島が多い。
 
・この「天」は注で「アマ」と読むと注釈がついていることから、天照大御神の一族は天族=海人族。
対馬から日本海にかけての島々を拠点として海上貿易を握っていた一族なのではないかと。
 
天の○○とついていない中国地方は大国主支配下にありました。
国譲り神話がありますが、天族VS出雲族の戦いがあったのでは?!と。
天孫降臨は武力侵攻を暗示しているのではないかと。
 
「天から降った」とされる天孫たちですが、言い換えれば天(対馬壱岐隠岐など)から葦原中国や筑紫の日向に向かって領土を求めて侵攻していったと。
 
出雲地方を抑え、筑紫・豊・日向まで支配下においた天孫族。ここに「倭国」誕生ーーー。
 
 
神武の東征について、なぜ、日向からはるか遠くの近畿を目指したのかですが、
ニニギ命の子孫の神武は倭国支配下の王族の一人として一地方を支配するだけでなく自分の国が欲しくなって「倭国の領域外」(中国地方よりも東)へ東征せざるを得なかったというのが真相というのです。
 
ひゃーって思いました。
 
この後も邪馬台国(筆者は邪馬台国とはいわず女王国と表記していましたが)と倭国の関係、仲哀天皇磐井の乱も出てきます。
ネタバレになるので書きません。
ぜひ読んでみてください。
 
あまりに大胆でそれでいて納得できる仮説だったので、「すごーい!面白いよー!」とそばにいた師匠(夫さん)に無理やり聞かせるという迷惑行為に出てしまうほど。
 
 
以前に壮大な歴史小説のブログを読んだり、今回の本を読んで思ったこと。
 
「おかしい」と思ったことをつきつめて調べてみるということは大事だと頭が下がります。
寿命が古代人なのにこんなに長いなんておかしい、と思わず、もしかして?と暦から疑う。
そのために紀や記の文章を一文ずつ検証するような作業は私には到底無理だけど。
記や紀は後代に作られた作り物だと思っていましたが、案外真実へのヒントが隠されているのかも。
 
真相がわからないから宝探しのようで楽しいという気もします。
 
でも、タイムマシンがあったらあっさり答えを見たいという思いもあります(笑)。
邪馬台国は九州にあるかどうか(私は九州派)。
・王朝交代はあったのか(崇神天皇応神天皇継体天皇の時に王朝交代したというのが一般今は一般的らしいですが)。
 
はっ、これって書き出すときりがないのでこの辺で。
 
 

好きなことならストレスはない?

師匠(夫さん)が不在というので、珍しく土曜日に倉庫バイトを入れてみました。
しかし、よく行く通販サイトの倉庫が物量が少ないからと別の現場を薦められる。
「それならお休みでもいいですが・・・」といったのに派遣会社の方からどうしてもと頼まれ初めての現場に行ってみることに。
 
作業自体は、セールで戻ってきた衣類の値札を切って(定価に戻し)畳みなおして透明な袋に入れるというもので、動きも少なく疲れず、意外とこういうコツコツしたことも好きなんだなーと思ったりして。
 
 
ただ、監督役のベテランパートの女性が不機嫌さ全開で、一言も発することも許されないような威圧感がありました。(分からない時は質問したけど、それでも不機嫌な顔で「そうじゃなくて!」と語尾に!をつけられるような話し方をされるとちょっと驚く)
 
一緒に入った同じ派遣バイトのメンバーで「あの人すごかったよねー」などと愚痴りまくり。
妙な連帯感が生まれました。
そして、なんと最寄り駅が一緒だったことが分かると「LINE交換しましょう♪」という流れに。
「今度地元飲みしましょうよ」などと盛り上がり。
 
え?
「今日は大変でしたよねー」でお別れするのではなく?
私以外の男女は若いから?私がおばさんだから不思議に思うの?
今後も会うかどうか分からない人と連絡先を交換することに驚くのは私だけ?
 
 
一緒に入った男性は、私と同じく通販倉庫がキャンセルになってこっちに回されたこともわかり、
「あの倉庫よく行くんですか?」「去年は年末時給が高かったので今年も期待しています」「いつか会うかもしれないですねー」「その時はよろしくお願いしますー」なんてやりとりも。どこまでが社交辞令ーーー?
 
 
女性の方は、本業は会社員で、たまに派遣バイトをし、さらに旅行の副業をやっているとも言っていた。
なんて活動的。
「私も旅行が好き」と話すと、旅行の副業について説明をしてくれたけど、
有料の会員登録をすると、その会員特典として安く旅行ができたり、友人を紹介するとマージンが入るというようなシステムでした。
旅行好きな友人がたくさんいるなら副業として成立するかもしれないけど、
私の場合はちょっと難しいなあと。
 
 
でも、彼女の言葉が印象的でした。
「こういった『労働』だと嫌な人に合わせて嫌な思いもするけど、好きなことを仕事にしていたらストレスなくて本当にいいですよ。本気で働けば本業よりも稼げるし」
 
 
「好きなことを仕事にする」というのはよく聞く言葉。
好きなことを仕事にしたらストレスがないって本当かな。
「好きなことをしているから疲れも感じませんでした」とかいう成功者の話を見たこともあるような・・・
 
 
私の場合、本業の大家さん業は空室出た時のダメージはかなり大きいけど、今年はたまたま空き室もなく、大きな苦情も出ず事件も起きず平和です。(しかし、大変というほどでもないけど、楽ということは全くない)
「仕事はお金を得るための手段」なので、ストレスがあっても仕方ないかな。
事務のパートは職場の雰囲気がよいし休みも融通利くので時給が安いほかは問題無し。
倉庫バイトも嫌な人に遭っても「その日だけ」と割り切れる。
 
 
師匠(夫さん)は、仕事のストレスが大変だとよく愚痴を言う。
「それならやめちゃえばいいじゃん。もうお子さんたちも独立して、それなりに貯金もあるんでしょ?」と言っても、
「でも、余裕がなくなったら石(鉱物)が買えなくなるよね」と。
欲しい物が高価な場合はもう少し働くしかないのかな(笑)
 
 
好きなことをしている時間というか、好きなことをできる余裕があるから、多少のストレスが気にならないのかも。
旅行するためと思えば節約もするし、バイトも増やせる。ちょっと頑張ってる気にもなって、ご褒美がより楽しくなる。ビジネスクラスで世界一周とか夢見てないのでちょっとの頑張りで好きなことができるから。
 
 
旅行が好きとはいえ、それを職業にしたら、それに付帯する事柄から発生したストレスの発散場所がなくなりそう。
そのストレスの度合いにもよるけれど、仕事と好きなことは別な方がいいのではないかと思ったり、
好きなことをする余裕のない人にとっては私の考えは傲慢なのではと思ったり、
大量の服をたたみながら考えていたのでした。
 
 
 

とうとう株デビュー

今年は借主さんたちにめぐまれ、空き室がない。更新もしてくれたし、退去の予定もない様子。
今年納める分の税金の残り、中小企業共済の年払い分の掛け金、ふるさと納税も確保したら、なんだか若干余裕ができるかも?
 
ということで、このところの懸案だった投資について取り組むことにしました。
 
これまで、本業の大家さん業のように自分の努力が報われる投資が手堅くていいと思っていました。
(私は、自分で掃除もするし、修繕を手配するし、督促の内容証明も自分で出す。たまたまこれまでひどい借主さんがいなかったこともあり、概ね順調でありがたいことです)
でも、さすがにやっと事業資金の返済が終わるのに、また新たに借金を抱えるのは怖い。
事業計画書やなにやら融資を受ける手間も面倒に思えて。
 
株は、世の中の情勢に左右されるから、自分の努力が及ばないような気がしてこれまで敬遠していました。
節税対策で始めたiDeCoも、一時期とっても好調だったのに、今月に入りがっくり下がっているし。
 
でも、それならいっそ下がっているときに買ったら長い目で見れば上がるかも?
師匠(夫さん)には「今よりももっと下がるかもしれないよ」と言われたりもするけど。
 
株を買うなら、どうせならその企業を応援したいと思える企業の株を買ったほうがいいと師匠の教え。
配当金とか考えるとJTって高いけど、私はたばこが嫌いなので、JTはやめよう(笑)。
株主優待も気になります。
投資信託って株とどう違うの?
 
株の売買で儲けるのは初心者には厳しいので、配当金・分配金を目的にして、
下がってもがっかりせずに買い増しのチャンスと思えるくらいの余裕でやろう。
自分の性格上、言い聞かせないと悔しくなりそうだから(笑)
 
考えた末に、実不動産投資をしている私が選んだのはJリート
介護施設や有料老人ホームなど介護系の不動産を所有する投資法人
こういう企業はこれからもっと必要となるはず。
まずは一口。
 
そして、もう一つ私が気になる業界。それは物流。
私の副業の一つ、倉庫バイトも当分無くならないような気がします。多分。
機械化するより安い臨時の労働力で回す方がいいんじゃない?
 
日本プロロジス、GLP、MFLP(三井不動産ロジスティクス)、三菱地所物流・・・
三菱地所の倉庫にはまだ行ったことないけど、それ以外は行ったことあるワタクシ。
どこも新しくて休憩室や食堂はとてもきれい。(倉庫の中は暑いけど)
入っている企業も聞いたことあるような大企業ばかり。
 
倉庫バイトで得た賃金で倉庫のリートに投資する。それも面白いかも。
(そして、損失出たら穴埋めのために倉庫バイトしそうな自分がいる)
この中から、値段が下がっている二つを買いました。
そして、一日たった今日は合計1000円プラス。
相場は水物と分かっていてもちょっと嬉しい。
 
今年のNISAの枠はまだ残っているので、来月もまた相場を見て買い増ししたいところです。
 
なんてことを書いてから、どんどんと下がり続けてちょっと凹む。
分配金で元がとれるといいな。
 

家とかお墓とか

たまに話題に上る「お墓問題」よそのお家はどうなんでしょう。
 
先日大阪に行き、お義父さんと和やかに談笑。
お風呂に入って出てきたら、師匠(夫さん)とお義父さんの雰囲気が嫌な感じに。
 
というのも、お義父さんは年の離れた末っ子で本家のお墓に入れないため故郷の奈良に墓地を買っています。
 
 
(関西弁に変換して読んでください)
お義父さんは、「俺が死んだら子孫代々墓を守ってくれ。家の名前を消さないでくれ」という。
師匠はそれを言われると「俺まではお父さんの墓を守ってあげられると思うけど、孫やその子供まで必ず守るとは言えないよ」
「なんで言えない」
「遠くに住んでて負担だろう」
さらに「俺だって、年をとったら毎年墓参りにこれるか自信ないぞ」と言うと、
「気持ちがあればできる!」と断言しているけれど、そのお義父さん自身が高齢を理由にもう何年も親のお墓参りをしていない。(本家の方たちが守ってくれている)
「墓とか家を守るとか、本家は土地持ちで(農家だから)土地も墓も一緒に継いだから守るものもあるけど、
今は子供は自分で選んだ職業について立派に家族を養っているんだから、親や先祖については感謝してくれたらそれでいい。墓を守れとかしばるようなことは言いたくない」
「縛るとはなんだ、土地をくれなければ墓は守らないというのか」
「そういうことじゃなくて」
 
ひゃー。このままだとケンカだよー。
とりあえず師匠にはお風呂にいってもらい、お義父さんとテキトーに話す。
「私の家は娘三人だからか、父は『家を守れ』とか言わないし、お墓も持ってないですよ」
というと、
「お父さんは心配じゃないのか?」と言う。
「死んだ後のことより、今に興味があるんじゃないですか。まだ先だと思ってるんですよ(笑)」とごまかす。
お義父さんより一回り若いせいもあるけど、実際、お墓のこととか言わないなー。
いつか希望を聞いてみよう。墓を守れとかいうかな(笑)
なんとなく言わなそうなんですよ、父の性格からすると。
 
 
後で、
「お義父さんは安心したくて自分でお墓を用意したんだから、『わかったわかった。子供にも言っておくよ』って言っておけばいいじゃない。やろうと思ってるんだし、孫の代で結果的にできなくなるかもしれないけど、今から負担とか迷惑とか言っちゃかわいそう」と師匠に言うと、
「嘘つくことになるし、負担というのは本当だから」と譲らない。
とりあえずの安心のためにって、私って、偽善者なのかな?
 
 
お義父さんに「私はお墓はいらないと思ってるんです」と言うと不思議がられてました。
師匠(夫さん)には子供がいるけど、私にはいない。
年上の夫さんが多分先に死ぬだろうから(こういう例えをするといつも怒るけど)、
希望を聞いて用意してあげて、私が生きているうちはお参りしたり、お子さんたちもお参りするでしょう。
でも、私が死んだらそこに入るつもりはない。
お子さんたちと私は関係がないし、私の甥や姪にもきっと負担になるだろうし。
 
 
私の希望はどこかに散骨してほしい。
一番の希望は心のふるさとシルクロード! 吐魯蕃か亀茲あたりの砂漠のはしっこに撒いても多分ばれないでしょう(笑)
毎年黄砂に乗って帰ってくるから、甥や姪たちが「まーた、おばちゃんがすごい勢いで帰ってきてるよ」とか笑ってくれればそれでいいかなー。忘れられてしまったらそれでおしまいでいいや。
甥や姪に中国へ飛べるくらいの旅費は残しておこう。
 
 
公共の迷惑にならないような方法があと何十年かのちにできているでしょう。
多分しばらくしぶとく生きてるつもりなので、その間にお墓や家に対する考え方がどう変わるのか様子をみたいと思います。
 
 
奈良のお墓参りは去年はしたけど、今年は観光を優先してしまったので師匠も私もしてない。
夫さんのご先祖さまのお墓参りをせず、古墳巡りなんてばちがあたるのではと書いていて気付く。
次回、関西に行くときにはまず奈良からですね。
 
 

ひとり古代史愛好会関西出張ーその②古市古墳群・前篇

13時ちょうどに巻向駅を出て畝傍駅近鉄に乗換え。
関西の電車で分かりづらいと思うのが、JRと私鉄の駅が離れているだけでなくて名前も全然違うところで乗り換えなくちゃいけないというところ。
JR大阪駅と阪急梅田ならくっついているから乗換も分かりやすいけど、
今回の乗換は、JR畝傍駅下車、近鉄八木西口まで8分で乗り換えろと乗換案内は言う。
降りた時にスマホGoogleマップがうまく作動しなくて焦りました。畝傍駅で駅近郊案内図を見ただけで、住宅街の中で、改札が地下にある八木西口駅を見つけるのは旅行者にはちょっと難易度高し。
 
お昼は橿原神宮駅の構内にあるコンビニでおにぎりを買い、乗り継ぎの合間にかじり無事14時3分に古市駅到着。
 
 
いよいよ白鳥陵古墳(日本武尊の陵墓)と誉田山古墳(応神天皇陵)のある古市にやってきましたー♪
 
古市駅を降りると、なんだかすごい人だかり。だんじり祭りの真っ最中でした!
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駅前の交差点を曲がっていきます。

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振り落とされないのがかっこいいーー!
町内ごとにだんじりをひいていくのですが、この後ろを撮影隊の奥様や子供たちがおっかけていくのが微笑ましかったです。
岸和田市だんじりが有名でそこしか知らなかったので、思いもよらぬところで見ただんじりにちょっと興奮。
何台か通過するのを見送っていました。お祭りっていいですよね!
テンション上がって、見学開始です。
 
まずGoogleマップを打ち出したものを見ながら白鳥陵古墳へ向かいます。
 
国道170号線を南に行くとすぐにこの碑があります。この道には真ん中に色タイルがはめてあり、参拝道の案内になっています。
 
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10分かからず、大きな堀をめぐらせた古墳に出会います。こちらが日本武尊の白鳥陵です。
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ふと見ると、ぐるりと周れそうな感じ。行ってみます。
 
途中でとぎれ、住宅街の中に出てしまい、その後かなり大きく周らないと行けなそうだったのであきらめて元の場所へ戻ってきました。都会の古墳は住宅街の中にあるので、周りをめぐれるかどうかは行ってみないと分かりません。(別に廻って見なくてもいいのだけど、大きさを実感したくてできるかぎり廻ろうと思ってしまう)

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先ほどの参拝道は竹内街道のようです。

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参拝道にはめてある色タイルとはこちら。

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お堀沿いにこんな看板が・・・
これを見ると古市駅のすぐ反対側に白鳥神社があります(素戔嗚尊日本武尊を祀っています)。
このオレンジのラインは、清寧天皇陵や白鳥神社、墓山古墳なども通っています。
白鳥陵と応神天皇陵、誉田八幡神社、中津姫陵を見学する予定でしたが、もっと見るべきところは多いの?!
応神天皇陵と誉田八幡神社はセットなので、白鳥陵に来たからには白鳥神社も行くべきか・・・
などと大汗かきながら悩む。とりあえず、白鳥陵の拝所を探します。
 

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白鳥陵の拝所です。宮内庁の看板があります。
日本武尊は即位していないけど、陵なのですねぇ。(天皇・皇后の墓しか陵とは言わないはず)

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次に峯が塚古墳に行くことにしました。
 
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ここは、公園になっていて、中に「時とみどりの交流館」という建物があったので地図をもらえたらと思い入館。
資料館というより、管理棟のようです。
 
「古墳巡りをしているのですが、地図などいただけますか」と聞いてみるといただけました。「千葉から来た」というとすごく驚かれ親身に話してくれたので、今回の旅行中、千葉アピールは何度かしてみました(笑)
 
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さらに「今どこか見てきましたか?」と聞かれたので、白鳥陵と峯が塚古墳を、というと職員の方が出してくれたのがこのカード。
「MOZU-FURU CARD」といい、百舌鳥・古市古墳群の古墳や施設を巡って写真などを撮り、配布場所で見せると見学した場所のカードがもらえるというもの。
白鳥陵古墳と峯が塚古墳のカードをもらいました。
 
生涯学習センターなども含まれるので、すべてまわると60枚!
(エクストラカードは「大阪府立近つ飛鳥博物館」です。
後からもらった資料を見て書いているので知らなかったけれど、
エクストラカード見せてほしかったーー)
私が関西に住む小学生なら確実に全部集めたと思います。

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空中写真でなら分かるけれど、左側には道があるのですが、右側はお堀にすぐ集合住宅が建っていて周りをあるくことができませんでした。

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この後、応神天皇陵と中津姫陵にも行くと言ってみたけどオマケしてはくれなかったです。
ここには千葉アピール通用せず(笑)
ウォーキングマップをもらったので、この後、2時間弱で見るとしたらどこがお薦めかと聞いてみる。
仲哀天皇陵(日本武尊の息子)まで行くと遠いので、応神天皇陵と中津姫陵へ行き、土師ノ里駅から乗るのが時間的に無理がないだろうとのこと。
 
お礼を言って管理棟を出て、駅に戻り駅の向こう側の白鳥神社に行くことにしました。
駅の向こう側には観光案内所があって、ウォーキングマップもおいてました。
駅前にレンタサイクル(有料)もあったみたい・・・やっぱり事前の準備があってこそ効率良く観光できるのだなあと少し残念。
自転車使えばもっと機動力があがったのにーー。
 
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白鳥神社にお参り。だんじりは終わっていて道はすいていましたが、神社の門前は出店で大賑わい。
秋祭りなのに、まだまだすごく暑くて(私は山用のリュックに二日分の着替えなども入れていたから重くて)、
汗をかきながら今回の旅が無事に済むようにお願いしたのでした。
 
寄り道が多くて長くなったので、応神天皇陵については後篇にします。ご了承くださいませ。