日々のあれこれーのんびりくらし

日々のあれこれーのんびりくらし

終の棲家で花遊び❀

癒しの時間

この10年以上私の中で不動の「息子にしたいNO1」CNBLUEのジョン・ヨンファ君のソロライブが昨日横浜パシフィコで開催されました。

電子チケットだったので通信障害が起きなくて良かったです

2020年に出したアルバムのライブがコロナで延期になっていたもので、「やっと来れました」と本人も言っていました。

ソロライブは、バンドのライブと違った雰囲気でこれまたとても良かったです。

 

3階席からは豆粒のように小さくて表情はスクリーンで見ていたのですが、ライブの臨場感はやはりいいですね。

 

久しぶりの笑顔を見て、楽しそうに歌って踊る彼を見て、「日本がもっと好きになっちゃいました」「日本語もメキメキ上達しました」と日本語が上手くなっているのを見て癒されました。

ただ、アンコールの「letter」と「ある素敵な日」という曲は夫さんを亡くしたばかりの私には悲しすぎて泣いてしまいました。

周りのお姉さまたちには感動で泣いたと思われたかしら。

 

彼らが軍隊に行っている間かつての熱量が無くなっていたのですが、時間もあることだしとファンクラブに再入会し、ライブのチケットを申し込んだらあっけなく当選して買うことができました。

 

昼公演だったので、ほぼ中年女性しかいない。

コロナ前のCNBLUEのライブだと外国人の女の子も多かったけど今はいない。

親子も10代と30代ではなく、40代と60代とおぼしき親子だったりするので、「ヨンファや、お金を稼ぐというのは大変なことなのよ」と思う。

 

それでも、日本のおばちゃんたちは軍隊から帰ってきたらこうして集まるから日本開催はこれからもあると思います。あってほしい!

ミニマリストの私は「3階席だし、ライブ以外では使わなくて邪魔だから」とペンライトすら買わないのに、みんなグッズも大量買い。

えらいねぇ。私も母なら買ってあげなよ、ですよね。

 

母の気持ちなのでときめくとかキュンとなるとかはないですが、ライブって楽しいなあと。応援する対象がいるというのはいいですね。

 

以前は日本語の歌だけでなく、ハングル曲も歌詞も覚えて意味も知っていたのに、ここしばらく色々あって歌詞を忘れてしまって(聞くと曲は思い出すけど)、「この曲ってたしかこんなことを歌ってたよね?」とぼんやり思うだけでした。

秋のCNBLUEのライブまでにまた歌詞を読み込んで覚えないと。

そう、秋のCNBLUEのライブとFNCキングダムもチケット購入済み。今は申し込めば必ず買えるのねぇ、嬉しいような悲しいような・・・

 

 

夫さんは私がヨンファのドラマを見ていると「あ、CNBLUEの人だ」とヨンファだと知っているのになぜか名前を呼ばなかったです。

息子にしたいNO1相手にも焼きもちやいていたのかしら。

ドライブ中にCNBLUEの曲を聞いても文句も言わなかったのに。

 

せっかく遠く横浜まで行ったのに、横浜も夫さんとデートした思い出があって泣きそうで寄れず、パシフィコ横浜直行直帰でした。

 

楽しいことをして、メソメソする時間をだんだんと少なくしたいと思っても、埋まる隙間が違うからなかなか難しいです。

それでもお金で楽しい時間が買えるなら良しとするしかないですね。

旅行したり、こうして好きな歌手のライブに行ったり、それらの準備をしているうちに、淋しさがうすれていきますように。

 

西国三十三か所めぐりを始めました

時間ならあるので目標をもって生きようと思い、夫さんと私の「極楽往生」を祈願して西国三十三か所めぐりを始めました。

 

さっそく、月初に大阪の義実家に行く前に京都市内を中心に2日で9ヶ所の観音様をお詣りしてきました。

納経帖と納め札、ガイドブックを購入

8枚なのは番外札所では散華をいただけなかったから

18番頂法寺(六角堂)の納経印

 

1300年前の巡礼が始まったときは歩いて巡ったのですが、私は公共交通機関で巡ります。車で行けたらきっと楽ですが私は運転ができません。

 

他にもこの秋は旅行の予定もあるので、月に一、二度のペースで関西に行って年内に満願成就の予定です。

 

旅行の計画建てたり、旅行している間は集中して時間を忘れます。

 

旅ブログのほうで報告していますので、ご興味ある方はぜひ。

xiaorentraveldiary.hatenablog.com

 

遺族年金がもらえない

先日年金事務所に夫さんの遺族年金の手続きに行きましたが、残念な結果となりました。

遺族厚生年金の受給要件

  1. 厚生年金保険の被保険者である間に死亡したとき
  2. 厚生年金の被保険者期間に初診日がある病気やけがが原因で初診日から5年以内に死亡したとき
  3. 1級・2級の障害厚生(共済)年金を受けとっている方が死亡したとき
  4. 老齢厚生年金の受給権者であった方が死亡したとき
  5. 老齢厚生年金の受給資格を満たした方が死亡したとき

夫さんは35年間厚生年金の被保険者だったので十分に受給要件は満たしています。

 

遺族年金の受給対象者

  1. 妻(※1)
  2. 子(18歳になった年度の3月31日までにある方、または20歳未満で障害年金の障害等級1級または2級の状態にある方。)
  3. 夫(死亡当時に55歳以上である方に限ります。)(※2)
  4. 父母(死亡当時に55歳以上である方に限ります。)(※3)
  5. 孫(18歳になった年度の3月31日までにある方、または20歳未満で障害年金の障害等級1級または2級の状態にある方。)
  6. 祖父母(死亡当時に55歳以上である方に限ります。)(※3)

※1 子のない30歳未満の妻は、5年間のみ受給できます。
※2 受給開始は60歳からとなります。ただし遺族基礎年金をあわせて受給できる場合に限り、55歳から60歳の間であっても遺族厚生年金を受給できます。
※3 受給開始は60歳からとなります。

 

 妻が一位なので私には当然受給資格はあります。

ただし、「生計を維持されていること」が条件なのです。生計を維持されているとは、生計を同じくしていること(同居している。別居しても仕送りしているなどはOK)と、収入要件を満たしていることが必要です。

 同居して、生活費も二人で出し合っていた私たち。問題は、私がアパート経営をしていることです。

 

 収入に関する認定要件とは

  • 条件ア、前年収入850万円未満

  • 条件イ、前年所得655.5万円未満

  • 条件ウ、一時的所得を除き、条件アorイ

  • 条件エ、おおむね5年以内に、条件アorイ

アパート経営をしていて、実家の法人の名前だけ役員としてわずかながらの役員報酬を得ていて(これはどちらかというと社会保険に入るため)、昨年まで事務のパートをしていました。

なので、前年収入は超えています。

では、所得はどうかというと、アパート経営で自己管理をしていて、去年は修繕もほとんどなくて経費がほとんどかかっていないため所得も超過。

でも、もう事務のパートはやめてしまったし、今年は経費が今後かかるかもしれないからと「条件エ」に期待をかけて手続きに行ったのでした。

正直な話、事務のパートをやめただけでは収入・所得ともにギリギリ超過。

青色申告が事業的規模で65万円の控除が認められればクリアー出来そうなまさに微妙な感じ。

9室しかない私のアパートは「事業的規模ではない」と税務署で言われてしまったので、控除は10万円のみ。でも、修繕が入ればクリアーできそう。

年金事務所で「今年はパートもやめたし、修繕費用が今後かかると、所得条件を満たすので条件エになりませんか」と粘ってみる。

しかし、「条件エ」は、再雇用などで雇用条件が変わり確実に収入・所得が下がることを「雇用契約書」などを示してもらわないと認められないとのこと。

「それでは、来年所得が下がったら申請できますか」と質問すると、
「ご主人が亡くなったときの収入要件で見るので、来年下がっても・・・」との回答。

たとえ月に千円でも妻として遺族年金がもらいたかったのに。

しょんぼりする私に年金事務所の担当者の方が一言。

「あくまでも、生活の補償なので・・・生活に困っていらっしゃらないのなら・・・」

それを言われると何も返せない。

 

けどね、これまで夫さんは、標準報酬も等級が高かったのでかなりの厚生年金保険料を支払っていたのに・・・・・

それは国に接収されてしまうの?なんか腑に落ちない。

一瞬義父が頭に浮かんだけど、仕送りしていなくて「生計維持要件」を満たさないからダメだーと。

これまでは夫さんと専業主婦の妻と子というモデルが多かったのかもしれないけど、夫婦共働きで子無しの家庭も今後増えるかも。

そうなると、遺族年金受給できない配偶者も増えるかも(そもそも夫は55歳以上という年齢要件もあるし)。

 

「パートでいいから働いたら」と言うけれど

先日義実家に挨拶に行きました。

「家でメソメソしているくらいならパートでいいから外に働きに出た方が」と義父にも義妹さん(私よりも年上)にも言われました。

でもね、主婦のパートって、夫さんや子どもの愚痴で盛り上がるじゃないですか。

それを言ったら強くは言われませんでした。

 

「黙々と作業するような仕事もあるんじゃないの」とも言われたけど、

生活に困っていないのよー、私。

コロナも心配だし。

義実家には私がアパート経営していることは内緒なので黙る。

 

他にも例えば何か新しい趣味でも始めようかと思っても、ホットヨガのようにマスク着用でレッスン中は私語禁止なら別に気にならない。

でも、何か世間話なんかするような場面がでてくるようなのはちょっと困る。

泣いちゃいそうで。

お一人様を楽しんでいるとはまだまだ言えないのです。

 

相続の準備も

他にも色々手続きをしています。

一条工務店太陽光発電も東電パワーグリッドの名義や入金口座を変更するだけでなくて、経産省に発電者の届出も必要でした。

当初営業さんに連絡したら、本社から案内が来て「ネットで自分でやって」風だったので、「夫さんが亡くなって傷心なのでこんなことできない!」と営業所に書類一式送ってやってもらいました。

 

お墓も準備中。来月にはやっと納骨できます。

 

夫さんは前職を早期退職したときに、運用しようと思ったのか口座をたくさん開いて定期預金を作っては解約して、みたいなことをしたようです。

見つけた通帳に利息分と思われる「3円」とかだけ入っているのを見ると、この3円のためだけに必要な手続きを思うとちょっと憂鬱。

iDeCoの解約は日数がかかるのですね。

それが終わらないと申告書が進まない。

 

相続はきっともめそうなので、私が費用を負担して税理士を頼んでいます。

相続税の申告なんて、やろうと思えば私でもできそうだけど、遺産分割協議書に印鑑をもらうためにイナゴ兄弟と直接やりとりするのは気が重い。

父親の告別式に喪服でなくスーツで来るくらい常識がない(またはお金がない?)人たちだから。

無事に遺産分割協議が済んで、イナゴ兄弟とも縁が切れるといいなあと祈っています。

 

 

旅のお供は鉄人28号

夫さんは「鉄人28号」が好きでした。

(世代的に私はロボットアニメといえば「マジンガーZ」に始まり、初期の「ガンダム」くらいかな。「ボルテスV」が一番好きです)

なんでも鉄人の「正義の味方で強くあるべきなのに、悪役にリモコンを取られちゃうと悪になっちゃうんだよ」というところが好きだったらしい。

化学メーカーで研究開発をしていた夫さんは、自分の開発したものが軍事転用されたら嫌だと言っていました。その可能性が全くないわけではない。

 

鉄人28号とお守り代わりの水晶とペンダント

そんなわけでこれからの旅のお供は「鉄人28号」になりました。

これまで普通に一人旅してたけど、それは帰ってきてから報告する相手がいたからこそ。(古墳めぐりとかマニアック過ぎてつき合わせられないという遠慮もあった)

これからは写真にしか報告できないのが淋しいですが・・・

とりあえず動きださないと。

 

先日、「世界遺産を生涯でなるべく多く見る」という野望を叶えるために伊豆長岡に行ってきました。

手で持って撮るのは結構難しい

韮山反射炉をバックに鉄人28号

韮山反射炉は、アヘン戦争を機に欧米列強に負けないための軍事力をってことで砲弾や砲台作りのための鉄を作ることが目的だったのですよね。

 

伊豆長岡は今年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の北条義時ゆかりの地らしくあちこちに幟が出ていました。

大師窟と呼ばれる北江間横穴群大師山の横穴墓をバックに

この大師窟は古代の横穴墓なのですが、義時がお経を納めたという伝説があり、北条氏ゆかりの地めぐりの地図に載っていました。

帰りに小田原城にも寄りました。(北条つながりとはいえ、全く関係はない北条さんたち)

小田原城天守閣にて。この日は曇り時々雨

落として無くしたら大変だから危険なところで撮るのはやめようと思った。

鉄人がいない写真もちゃんと撮ってますよ。

 

伊豆長岡1日観光の旅日記は後で旅ブログのほうに丁寧に書こうと思います。

てっぱくに行ってわかったこと

私は鉄道好きだと思う。

鉄道番組をよく見ます(六角精児さんの「呑み鉄日本旅」、「友近・礼二の妄想トレイン」ダーリンハニーさんの「鉄道ひとり旅ーGO my railway!」などなど)。

 

これまでは夫さんの助手席で登山のために車で九州に行ったりもしたけど、(夫さんは私が寝ても怒らない。その代わり、私は登山服の洗濯乾燥などが担当でした)
もう車でお出かけはない。

 

なので、鉄道旅を極めようと前から気になっていた大宮の「鉄道博物館」に行ってきました。

 

駅名からして気分があがる

ちゃんとコンビニで事前予約をしていきました。

朝10時の開館に合わせて行ったら、平日なのに夏休み中だったからかほぼ親子づれしかいない。

高校生男子二人組はいても、おばさん一人は私だけでした。

 

昔の蒸気機関車って芸術だと思う

中に入ると蒸気機関車に始まり色々な車両が並んでいます。

私の年代は新幹線と言えばこの顔

こんなに顔が長くなって

豪華ホテルのような御料列車

御料列車はかなり真剣に見ていた。

 

が、見ていて思った。

動いてない列車はそれほど楽しくない。

 

鉄道芸人さんのように「キハ」だの「〇〇」だの、型式で萌えることもないんだなと。

 

そして、てっぱくの楽しみといえば、アプリをインストールして抽選に当たると体験できる色々なこと。

車掌、駅員、運転手などなど・・・

でも、それも特に体験したいわけじゃあないなー。

「電車でGO」もこれまで特にやらなかったし。

何より、動画を撮ろうとしている親たちの前で子どもと一緒に体験したくない。

 

歴史的展示のコーナーは面白かった

鉄道事業の歴史のコーナーは面白かったです。

 

この券売機見覚えあります!

すごく懐かしい。駅には伝言板もあったし、改札は自動改札ではなかったし。

でも、今のほうが便利なので戻りたくはないですけどね。

 

 

一番ハマったのがジオラマ展示。

駅にたくさん停まっています

こまちとはやぶさが連結してます!

かなり大きなジオラマです


20分くらいのプログラムで、座席に座ったままお姉さんのガイドに従って動いている列車を目で追います。
最後は5分くらいジオラマの傍に行って近くで見ることができます。

 

ジオラマがとても大きいので、座席の場所を変えて3回私は見ていました。

 

そう、ジオラマが一番楽しかったのです。

ドールハウスも好きだし、私は鉄道好きというよりジオラマ好きだったのかな?

 

鉄道番組が好きだけど、あれは鉄道芸人が好きなのかも。

 

旅行で延々と電車に乗っていてもそれほど苦痛でないのは、鉄道好きなせいかと思っていたけど、電車単体はそれほど好きでもないかもしれない。

 

夫さんの写真にグダグダ話していたら「電車というより旅行ができれば何でもいいんでしょう」と言われたような気がしました。

そう、出かけられるのなら、電車でもバスでも飛行機でも車でもいいのかもしれない。

 

 

 

楽しんでいいんだよと言われて

大好きな夫さんが逝ってしまって早二か月。

だんだんと眠れて食べられるようになりリバウンド気味。せっかくやせたのに、戻るのって簡単。

友人に感謝

子どもがいたり、仕事をしていればとにかくやるしかないのかもしれないけど、私には子どももいないし、アパート経営で家賃が入ってくるから勤労はしていない。

なので、家で一日中泣いていました。

 

13年前に離婚して一人暮らしをした時とは大違い。あの時は解放感でウキウキしてましたから。

 

見かねた友人がマンガ(「ガラスの仮面」と「キャンディキャンデイ」)を貸してくれて、夢中になって読みました。

どちらも昭和の名作マンガ(「ガラスの仮面」はまだ終わっていないけど)で、友人と「私はステア派だった!」「私はアンソニー」などと話していて、『私ってちゃんと笑えるんだなあ』となんだか不思議な感じがしました。

 

お薦めの本を紹介してもらったり。(暇なので図書館で借りて読む)

 

湘南に住む友人の家に泊りに行って話しこんだりもして・・・

外泊なんていつぶり?

車体の色が違うけど拘らない

一応、某アニメで有名な踏切にも行きました。友人宅に泊まる前に、久しぶりにネカフェに入会して「スラムダンク」を一気読みしました。

初めて読んだけど、このマンガが人気がある理由が分かる気がします。私は小暮くん、赤木、三井の三年生トリオの友情がいいなあと思いましたよ。(私はメガネ男子好き)

江の島の夜のライトアップを見に行きました

本当に色々と付き合ってくれる友人たちに感謝です。

毎日会っているわけではないですけどね。一人じゃないと思えることが嬉しい。

 

楽しんでいいんだよと言われても

「楽しいことをしよう」

「楽しんでいいんだよ」

友人たちは言うけど、最初のうちはそんな元気もなく、

次には夫さんに悪いという気がしていました。

本当は夫さんも楽しいことしたかっただろうなあとか、夫さんと一緒にしたかったのになあとか、今でも書いているうちに泣きそうになる。

でも、毎晩夫さんの写真に向かってお線香が一本終わるまでだらだらと喋っているのだけど、楽しいことを話せるほうがいいのかなと思えるようになってきました。

初めのうちは「悪く言ってごめんね」と断りつつ、イナゴ兄弟(息子さんたち)の悪口を言ったりしてたから。

 

返事はないけど、ドラマの話とか旅行の計画とか写真に向かって話してる。

「どう思う?」と聞いても返事はないですけどね。

 

私が楽しんでいたとしても、それを咎める夫さんでない。

遺骨ペンダントというのを作って身に着けてるから、一緒に遊びに行っているようなものだし。

私がアクセサリーをつけていたので友人に驚かれたけど、まさか私もそんなものを買うようになるとは自分でも驚き。

 

「メタモルフォーゼの縁側」のマンガに泣く

これもネカフェで一気読み。

夫を亡くしたおばあちゃんが本屋でたまたま手に取ったBLのマンガ。その本屋でバイトしている内気な女子高生もそのマンガが好きで、これが縁で二人は友人となり、一緒にサイン会に並んだりコミケに出かけたりするのです。マンガの内容について二人で語ったりして楽しそう。

おばあちゃんがコミケの会場の熱気の中で亡き夫さんを思い出しながら『楽しいわ』と思うシーンにネカフェで泣いてしまいました。(マンガは泣くようなシーンではないですよ。)

おばあちゃんはマンガだけでなく新しい世界を知って、女子高生も読むだけでなくてマンガを描いて売る側の人になったり、なんだかとってもいい話でした。

この年で新しく友人ができるかどうかはかなり難しいところですが、好きなものが同じ人と語り合うって楽しそう。

 

楽しいことをしよう

まずは日常生活をしっかりしようと、暑さで手を抜きがちだった庭の草取りもして、ビオラなど秋撒きの種の準備。

小松菜とブロッコリーも育てないと。

 

身体が硬いからホットヨガも始めました。

硬すぎてちゃんとポーズを取れないけど、呼吸に気を付けるようにしてたら夜に眠れるようになりました。

でも、ホットヨガって痩せないです。大汗かくけど私の通っているところはほとんど座位か寝たままのポーズばかり。ヨガというよりストレッチ?

帰ってきてからアイス食べてるからかな。

 

好きだったKPOPのバンドのファンクラブに再入会して、ライブのチケット申し込んだら簡単に買えました(昔は抽選だったのに・・・軍隊から帰ってきたおじさんだからもう人気ないのかしら)。でもいいの。応援します。

 

妹が強く勧めてくれた「青春スター」というオーディション番組も見たし、「キングダム」というボーイズグループの競演も見ました。(SF9というグループの9人の顔と名前の区別がつくくらいハマった)

 

一生懸命見ていて、照れ隠しに独り言で夫さんに話しかけてしまう。

「呆れてる?」「大目に見てね~」

 

ネカフェにも通って気になっていた最近のマンガも読みました。

「チ。地球の運動について」とか。

 

コロナ禍だけど、旅行の予約もちゃくちゃくと。

 

これからの人生を楽しんで、ちゃんと生きなきゃなあとやっと思えるようになりました。

 

ただ淋しいし恋しい

久しぶりのブログですが、悲しい報告です。

夫さんは闘病の末・・・

「二人して元気になろう」と約束して、夫さんは肺がん、私は乳がんの治療を続けていましたが、夫さんは6月末に逝ってしまいました。

「絶対治る」という夫さんが言うから、私も治る(日常生活に戻れる程度に)のだと全く疑っていなかったです。

私の乳がん放射線治療が終わったら、秋ごろにでも温泉旅行しようよなんて話していたくらい。

 

5月に入ってから週ごとに悪くなるような感じで、6月に初旬に入院したときには先生に「このまま辛い治療を続けても治ることはない」と言われ、それなら「夫さんが大好きな家で最期を迎えたい」と思いました。

コロナ禍で、入院したら家族でも面会できない。

夫さんは腫瘍が脳に転移したためかスマホの操作もできなくなってしまい、声を聴くこともできなくて、入院中はとにかく心配でした。洗濯物などを届けに行って看護師さんや主治医の先生に話を聞いても、「大丈夫ですよ」しか言ってくれないし。

 

在宅診療所や訪問看護ステーション、ヘルパーさんなどを準備して迎えに行ったときには、腫瘍のせいか発語もできなくなっていて、会話もできなくなっていました。

私は16日間の放射線治療のために連日通院するというハードスケジュールながらも、ヘルパーさんや訪問看護士さんに教わって、オムツ交換や清拭、痰の吸引までできるようになったのですよ。

 

主治医の先生に「あとひと月くらい」と言われていたので、そのつもりでいたのに早くその日が来てしまいました。

その日も放射線治療があったので、迷ったけれど「私が帰ってくるまで待っていてね」と言ったらちゃんと待っていてくれました。最期は二人きりで迎えました。

 

一人暮らしのはじまり

2年前に土地探しから始めて1年前に引っ越してきたばかりの新居。

夫さんはこのこだわりの家が大好きでした(家愛が強すぎて、掃除とかすごく口うるさかった(笑))。

最期は脳に腫瘍が転移したためか会話もできなくなってしまったけど、それでも家に連れて帰ってきて良かったと思います。

入院したくないと言っていたのに、嚥下ができなくなって脱水が心配で入院させてしまったから。

 

老後の二人暮らし用と思って、二人で相談を重ねて建てたこの家。

ソファーもベッドも椅子も机もなにもかも二人分。

夫さんの机に飾った写真(我が家は仏壇を作らない)に話しかけたり、テレビを見ながらも話しかけたりしています。

これからの人生を一人かと思うとやっぱり淋しいし夫さんが恋しいです。

 

スーパーに行っては闘病中に食べられるものに悩んでいたことを思い出すし、ランニングしていても、夫婦二人で散歩している人を見れば夫さんを思い出す。

庭の花を摘んできて写真の前に飾るけど、褒めてくれる人がいなくなったら庭の手入れもおざなりになりそう。

テレビを見ていても夫さんと行ったところを見ると思い出します。私たち二人であちこち行っているからもう泣けて泣けて・・・

 

本当に私と夫さんは仲良しだったのですよ。

ケンカをしたのだって、今思うと病気のせいで性格悪くなった頃くらいしか思い出せない。

8つ年上だから夫さんが先に逝く前提でこれまで老後を話していたけど、あまりにも早すぎる。

友人に感謝

夫さんの最期の頃と逝ってしまったばかりの頃は、あまり眠れなかったし、食事も喉を通りませんでした。

友人たちが「しゃおれんが笑って暮らしていたら夫さんは安心するよ」と言うけど、なかなか。

「二人して元気になろう」と約束したけど、私だけ元気になっても・・・とか弱気になっていました。

そんなころ、友人が交代で週末に遊びに来てくれて美味しいものを作ってくれたり、届けてくれたり。

昭和の少女漫画を貸してくれたり。

昭和の少女マンガなら夫さんと関係がないので泣かずに済んで、単純に子供の頃を思い出して笑うことができました。

夫さんの息子たちは、告別式の前日に預金額を聞いてきたり、形見分けと称してクローゼットの中のユニクロのフリースのような普段着まで根こそぎもっていくイナゴ兄弟だったので、私も消耗していたのですが、その愚痴を聞いてくれて本当にありがたかったです。

 

地方に住んでいる妹もこまめに連絡くれるようになって。

やっと最近眠れるし、食事もしっかり食べるようになりました。

秋には夫さんと行こうとしていたところを旅行しようと思えるほど元気になりました。

でもただ淋しいし恋しい。

写真見ながら話していて未だに泣いたりしています。

 

新盆

今年は新盆でしたが、まだお墓は準備中だし、コロナ禍なので、大阪の義父なども呼ばず(高齢で告別式も欠席)家でしんみりと迎えました。

イナゴ兄弟からは何も連絡なし。

親戚や友人からお花やお供えを頂いたので飾る。

精霊馬を初めて作った

お盆にはこちらに戻ってくるというけれど、まだ私は夢でも会っていない。

せめて夢でいいから会いたいです。

夢を見ない。

病気が進んでからのビデオレターがあるのだけど、夫さんの声を聴くと泣いてしまう。でも、声が聴きたくて見ちゃう。麻薬のようです。

元気なときのクレバーな夫さんの動画があればよかったのにと思います。

 

夫さんは善人だからすぐに生まれ変わっているはず。

生まれ変わってもまた結婚しようね、と言っていたけど、待っててくれるかしら。

 

家庭菜園の収穫

色々あって以前ほど庭に時間をかけられません。

ビオラ忘れな草、ニゲラ、ルピナスといった春の花はまだ咲いていたけど断捨離。

メランポジウム、サルビアはまだ小さいけど植え替えました。

 

家庭菜園は放っておいていたら暴れまくって多分正解じゃないと思いますが、もうどう修正したらいいか分からないのでそのまま進めています。

手前がにんじん、奥はミニカボチャ

にんじん

間引いた小さいにんじんも食べちゃいます。

葉っぱは根よりも栄養あるというので、豆乳ヨーグルトと混ぜてグリーンスムージーにしています。

 

ミニカボチャの実

ミニカボチャもいくつかなっています。食べきれるかな?

 

ブロッコリー

わき芽が咲いちゃいそうなので毎日摘んではレンチンして食べています。

トマト

ここ数日脇芽かきを忘れていたらとんでもないことに。

もうこのままなるようにならせます。

 

他にも植えていますが、あまり手間をかけていないので今一つ。

でも、今はそれどころじゃないんだもの。

 

キウイ(相変わらずピンボケ写真)

キウイもいくつか受粉成功したみたいです。

 

手間をかければかけた分きれいに咲いてくれる花たち。

放っておいても元気に育ってくれるところもなんだか今は救われます。

忙しくて買い物行けなくても、とりあえずニンジンとブロッコリーでなんとかしています。

リビングを広くしておいて良かった

私は夫さんと入籍した(それまで別姓婚を5年していた)6年前から10年日記をつけています。

2年前のちょうどこの頃、今の家の土地を見つけ買付注文を出しました。それから工務店探し、間取りや設備になやみ、これまたちょうど1年前に引き渡しがありました。

それから引越して庭作りを楽しみ、近所を探検していた半年後くらいです。

夫さんの病気が発覚し、次には私も病気が発覚しました。

 

順調にすすんでいた夫さんの治療ですが、ちょっと最近思わしくないです。

急に病状が進んで、とうとう介護保険の申請をして介護ベッドを一階のリビングに入れました。

リビングを広くしておいて良かったーと本当に思います。

介助のための私の布団を敷いてもまだ通路は余裕があります。

訪問入浴の余裕もありますよ(こちらのサービスはまだ利用したことがないけど)。

二階にお風呂にしたのでなかなか大変。

二階リビングでないだけまだ良かったと思うべき?

一条工務店の家は気密性が高くて静かなのがいいですね。

 

 

家づくりを考えるときは、老後や病気になったときのことなんてきちんと考えてこなかった。まだ遠い未来だと思っていて、「そのときはそのときさ」なんて簡単に考えていました。

でも、人間、いつ何が起きても不思議はないんですよね。

 

玄関やトイレ、お風呂の手摺は助かってますけど。

外構は拘りの浮き階段にしたので、上り下りが結構大変(笑)

 

夫さんの奇跡のV字回復を祈る毎日です。

ニゲラが咲きそろっています

 

さつま芋植付・かぼちゃ・キウイ・ブルーベリーその後

さつま芋の芽出しをしていましたが、なかなか大きくならないのに鉢の下から根が出てきてしまったので、種芋ごと植え付けるという暴挙にでました。

芽は伸びてないのに根は下から出ていました

全部で3株

マルチは100均のセリアで買ったので適当に穴が開いています。少しでもつる返しの手間が省ければくらいの気持ちです。

適当に育てたさつま芋でさてさてどれくらい収穫できるのでしょうか。

 

かぼちゃの雌花

かぼちゃも雌花だけ先に咲いていました。そもそもこんな下の節の雌花は実らせてはいけないのでぷちっともいでおきました。

 

キウイ雌花です

右側は先に咲いたもので、左側は後から。

右側の実の部分が少し膨らんでいるように見えるので人工授粉は成功したと思って良いのでしょうか。

引き続き見守ります。

 

テイフブルーだけ咲き残り

ブルーベリーは自然に任せることにしたのですが、テイフブルーだけ咲き残り(ホームベルの花が終わってしまいました)今後咲く花は観賞用ということになります。

どうしよう、摘んだ方がいいのかしら。

それともご近所にブルーベリーの木を植えているところがあるからもしかしたら受粉できるかもという奇跡を祈ろうかしら。

自然に任せたブルーベリーはいくつ実がなるかなあ。楽しみです。